JR原宿駅、「木造駅舎」がシンボルだった街の変遷 「裏原宿」こそ本来の原宿、五輪が変えた風景

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竹下口は従来通り、代々木寄りの地下通路から東側に出たところにある。そこから竹下通りを望むと、ずっと下り坂になっている。また表参道側から竹下通りへ向けても下り坂で、谷底のような地形である。

この通り沿いは1965年まで、竹下町と独立した町名を名乗っていた。江戸時代に開拓された土地である。原宿を代表する通りも、商業地になる前は庶民の住宅地で、昔から原宿と呼ばれたエリアには含まれていなかったのだ。谷を挟む南北の台地上には邸宅が並んでいた。今となっては、閑静な雰囲気を残しているのは、東郷平八郎を祀った東郷神社ぐらい。駅名が竹下にならなかったのも、人口の少なさゆえだろう。

東郷神社
閑静なたたずまいの東郷神社(筆者撮影)

ひっそりとした皇室専用ホーム

竹下口を背に左へ、代々木方面へ線路沿いにまっすぐ歩くと、装飾を施した門に行き当たる。山手線などの電車に乗っていると、原宿―代々木間の東側に使われている様子がないホームを見ることができる。

これが1925年に建設された皇室専用ホームで、皇室の面々や外国の賓客が乗車する、いわゆる「お召し列車」への乗降に使ったところだ。凝った装飾はそれゆえだが、2001年以降、列車が発着した実績はなく、閉鎖されている状態である。

さほど華美ではないのは、もともとは病弱だった大正天皇が転地療養に向かう際、あらぬ噂が立たないよう、ひっそりとお召し列車を運転したためと言われる。東京駅のほうが皇居には近いが、原宿が選ばれたのも目立たないように配慮したためで、かつ、山手貨物線を使えば、東海道本線や東北本線など、どの方面へも直通運転が可能。明治神宮のそばで環境もよいとの理由だった。

皇室専用ホーム
皇室専用ホームへの入り口の門(筆者撮影)
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