「モチベーションがなくなってしまいました。1浪目も途中から予備校には行けなくなってしまったのですが、2浪目に入ってからは一度受かったことも、やる気の低下に拍車をかけてしまったんです。ずっと家でゲームをしていた1年でした」
結局、2浪目のセンター試験は前年を下回る70%程度に終わったために3浪目に突入しました。この年も似た生活を続けてしまい、再び前年よりセンターの得点率を下げ、69%に終わってしまいます。
けいぜとさんはもともと京都大学の薬学部を目指していたこともあり、ほかの国立大学の薬学部を探して出願しました。その大学には合格したため、進学することを決意します。
こうして、3浪の受験生活を終えた彼ですが、彼は志望校に届かなかった理由を、当時を思い出しながらこう分析します。
「目標がなかったことが大きいと思います。もともと僕は卒業した高校の前に通っていた県内6番手の高校くらいが適正値だと思うので、親が大卒ではなく実感がなかったので、焦りもなかったことがよくなかったと思います。たまたま地元に全国区の高校があって、自分の適性がそこに入るのに向いていたから入れただけなので」
こうして3浪をして国立大学の薬学部に進んだけいぜとさん。
その大学では、要領よく単位を取得しつつ、友達もできて、楽しい学校生活を送っていたようです。
先生のパワハラで、大学を退学
長く続けた受験勉強もこれにて終了し、国家試験を受けて資格を取得、安定した生活を送れる……はずでしたが、3年生になってから転機が訪れます。
「3年生になってから入る研究室選びを失敗してしまったんです。どこでもいいって感じであまり情報を集めたり検討をしたりせずに決めてしまったので、先生のパワハラがすごい研究室に入ってしまいました。それで休学して、辞めてしまったんです」
「今でも当時の大学の同期とは仲良くしているんですが、退学することになった当時は、彼らにとても心配させてしまいました」と申し訳なさそうに語ったけいぜとさん。高校1浪、大学受験3浪を経て入った国立大学を3年生で退学した彼は、すでに25歳になっていました。
「この先の見通しが立たず、自分の人生の中でいちばんのどん底でした。人生どうしようかと悩んだのですが、旧帝大に入り直したいと考えて、旧帝大だったら多浪の年齢も考慮して医学部に行きたいなって思ったんです。
正直、大学に入るまでの3年間の浪人は惰性でやっていました。でも、初めて受け身の勉強じゃなくて、自分の人生のために本気で1年半勉強をして旧帝大の医学部を目指そうと思ったんです」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら