「小児医療」家族の葛藤伝える漫画家の切なる思い 漫画「プラタナスの実」が挑んだ答えのない問い

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──わが子を愛する気持ちはどの親も同じですが、園子看護師長のようにわが子を手放したくない親、外で遊ばせることを拒む親、漣くんのお母さんのように院内学級を拒否する親もいます。

また、自立を促す医療従事者やCLSを悪だと捉える人も珍しくないと思いますし、現場では雑談から情報収集を得る場面もたくさんありますが、家族によっては「ただ遊んでるだけ」と捉える方もいます。

家族の考えによって、本人の治療や成長にも大きく影響していきますが、東元先生は子どもの自立や病気のバランス、親の背景についてどのように考えて漫画を描かれましたか?

また、直接治療ができない家族の思い、不甲斐ない思いについてどのように考えましたか?

東元:この漫画で最終的に描いた小児医療の目的は、病気を治すことではなく、子どもが将来大人になったとき、社会で自立できるようにすることです。医療従事者のゴールはそこにあるのだと思います。

いろいろな病気の方がいるので一概には言えないかもしれませんが、現実的には入院期間が長くなればなるほど子どもの社会復帰は遅れてしまいます。でもその期間に病気と向き合いながらいろいろな経験を積んでいくことが、その後の糧となると思います。

時に家族は子どもから少し離れてそれを見守る勇気も必要だと思います。直接治療ができない家族の思いや不甲斐ない思いはどの親も感じることなのかもしれません。そうとうつらいだろうと想像します。場合によっては自分を責めたりもしてしまうでしょう。

でも取材時にある患者さんも言っていたのですが、「家族はそこにいるだけで力になる」もの。お見舞いに行って特別何かやる必要も言葉を用意する必要もなくて、子どもは家族がただ近くにいてくれれば心が落ち着いたり、励みになるものなんです。

家族はチーム医療の重要な一員だと思っています。なのでこの漫画ではどのシリーズでも、患者は治療で救われるのではなく、最終的には家族によって救われた、という終わりを描いています。

多くの医療従事者の言葉「病気は可哀そうではない」

──30話で青葉が「病気は可哀そうではない」と高校生の葛西くんに伝える場面がありましたが、東元先生はどう思いますか? また、ここで伝えたかったことは、どんなことでしょうか?

東元:これは取材したCLSの方が言っていた言葉でもあるのですが、子どもの病気には何の罪もありません。大人は生活習慣などが原因で病気になることもありますが、子どもは違います。遺伝性もありますが、多くはそうではありません。

この言葉はCLSの方以外にも多くの医療従事者の方々が言っていた言葉です。

時々テレビなどのドキュメンタリーやドラマを観て、病気の子どもを可哀想だと思ってしまいます。でも実際はそんなことはなくて、ほかの子と同じです。病気は不幸ではないんです。 

作中でそのまま使わせていただきました。

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