VIVANTが見せた日本のドラマが失っていたもの 単なる考察ドラマで終わらなかった深い理由

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そうやってエンタメ性を存分に出しながら、役所演じるベキによるテロ行為の目的は、バルカ共和国の孤児たちを救うための資金調達だったというヒューマニズム。それもこれも、幼い頃に、憂助を孤児にしてしまったことがベキの心を支配しているという麗しき親子愛である。

べきが振り返った「40年前の日本」

第9話でベキは、憂助の作った赤飯を40年ぶりに食べて喜び、彼の知る日本は「助け合いの心をもつ、慈しみ深い国だった」と振り返っていた。40年前というと、ベキが日本を離れたのは1983年頃ということになる。現実の日本では、朝ドラ『おしん』、大河ドラマ『徳川家康』が大ヒットした年である。

『おしん』の原作・脚本の橋田壽賀子と制作者たちは「高度経済成長の中で現代人が見失ってしまったものを提示し、問いかけよう」と意図していて(NHKサイトより)、『家康』は「低成長期に家康の『堪忍の思想』」が好まれた」とNHKプロデューサーが著書『大河ドラマの歳月』で人気を分析している。

一方、40年前、1983年には東芝日曜劇場として、1993年に連ドラ化するまでは一話完結の単発ドラマを放送していた。ホームドラマが中心だったようだ。おそらく「助け合いのこころをもつ、慈しみ深い」話が多かったのだと思う。

ベキの生き方にかつての日本の精神を織り込んだ台本はたしかにツボを心得ているし、とっつきやすい。家族愛を知らずに育った憂助が薫と出会って、あたたかく、やわらかな触れ合いを知ったというのも、物語に情緒を加える。

ただの、奇想天外な、考察を売りにした冒険ものではないところを担保しながら、サラリーマンもの、テロもの、ミステリーもの、医療もの、恋愛、ホームドラマ、考察もの……とこれまでの日曜劇場の人気要素を取り込む。感情をゆさぶる音楽がやたらとかかるところも含め、確かによく考え抜かれていて隙がない。

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