VIVANTが見せた日本のドラマが失っていたもの 単なる考察ドラマで終わらなかった深い理由
「しっかりした台本だから、しっかりした言葉だから、言葉をばばばってしゃべっても、構造がしっかりしているから、安心して走れるというか。これが何言ってるかわからない本ならそのプランは取りにくい気がする。丁寧に伝えないとと思うから。福澤さん(原作で演出家の福澤克雄)の本はしっかりしてる。すごい人だと思う」と言うのだ。
知性派の印象がある堺が言うのだから説得力はある。確かに、しっかりはしているのだ。というのは、セリフはほとんど理路整然とした説明セリフである。とりわけこの数回、乃木が、こう見えて実はこうだったという説明ばかりだった。
考察以外の部分がわかりやすく、とっつきやすい
さらに、第9話では株の信用取引の仕組みをわかりやすく説明し、ベキまで自分の過去を滔々と語り(役所広司の深みのある語り)、そこに林遣都演じる若きベキの場面が流れた。
つまり、『VIVANT』を多くの人が見る理由は、考察以外の部分がわかりやすく、とっつきやすいことにもあると考えられる。一見、複雑そうながら、物語も設定もシンプルで、要素すべてがしっかり関連づけられている。
問題の考察部分は、公式が頻繁に種明かしをしたり、考察ポイントを示唆したりするため、考察が苦手な人もついていきやすい。要するに、大衆的なクイズ番組的なのである。徐々にヒントを出して、テレビの前の視聴者も当てやすくしてくれているから、参加したくなる。
例えば、テントが買っていたフローライトが産出される土地。これまで誰にもバレることなく買えることなどありえないだろうと思うものの、こんなふうに一般視聴者がツッコめるところもいくつかあったほうがドラマは親しみやすいものなのだ。
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