秀吉が恐ろしいのは、一度決めたら、その目的に対する手段を選ばないところです。
秀吉の目的は家康自身を上洛させ、諸大名の前で家康に臣下の礼をとらせることでした。すでに家康は次男の秀康を人質に出していましたが、自身の上洛は拒否していました。
家康が「上洛したら討ち取られる」と懸念しているのではと考えた秀吉は、自らも人質を送ることを考えます。
天下の覇者が自ら人質を送る。
これは秀吉以外、考えつかないような奇策です。
もちろん、体裁は整える必要があります。
朝日姫、夫と離縁させられ家康に嫁ぐ
そこで秀吉は、家康が築山殿の後に正室を持っていないことに目をつけ、妹の朝日姫を家康に嫁がせるという荒業を思いつきました。
このとき朝日姫は44歳、家康は45歳。当時の感覚でいえば老齢と言ってもいい年齢です。
夫と2人で暮らしていた朝日姫を強引に別れさせ、家康のもとに送ります。「嫁ぐ」と言いながらも、実際は人質でした。
徳川方も、花嫁ではなく人質として扱ったようです。この時代ならセカンドライフと言ってもいい年齢で、夫と別れさせられ敵地と言っても過言ではない場所に送られた朝日姫の心中を思うと、残酷な仕打ちと言ってもいいでしょう。
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