しばらくスマホゲームに集中し、漫画でも読もうかと本棚に手を伸ばした瞬間、兄貴の怒鳴り声が聞こえた。普段お客さん相手に感情的にならない兄貴が声を荒げている。ただならぬ雰囲気に慌てて控え室を出ると、ワタリさんがナイフを手に兄貴に襲いかかろうとしていた。
「あ、危ない!」
気がついたときには、俺は兄貴を押しのけていた。兄貴に向かうはずだったワタリさんが持つナイフは、兄貴と入れ替わった俺のお腹に刺さっている。
「え……? マジか……」
全身から血の気が引いていくのがわかる。痛みは感じないのに、どんどん血が溢れて、刺されたところがドクンドクンと脈打っていく。
「クソッ!」
ワタリさんは振り返ることなく、駆け足で店から出ていった。兄貴はパニックになりながら、どこかに電話をかけている。
刺されたところがジワッと熱くなってきて、徐々に鋭い痛みが襲ってきた。俺は死ぬのか? 痛みと恐怖で力が抜けてカウンターの中に倒れ込み、そのまま意識を失った。
「えっと、俺は店で刺されたんじゃ……?」
「おいコラ! いつまで寝てるんだよ!」
聞いたことのないほど大きな声と、体を揺さぶられる強い力で俺は目覚めた。見渡す限り建物一つない草原の中で、俺は見たこともないほど大きな男に起こされた。男は荒々しい雰囲気を漂わせ、目つきは鋭く、口元には不機嫌そうな表情が浮かんでいた。筋肉質で体のところどころに傷があり、教科書で見た縄文人のような格好をしているが、服には派手な模様が入っていて、アクセサリーをジャラジャラとつけている。しかも、周りには俺を起こした大男と同じくらい大きな男たちが、何人も俺を睨みつけている。
「おいおい、やっと起きたのか? ちょっと突いただけで失神されちゃかなわないぜ」
「えっと、俺は店で刺されたんじゃ……? っていうか、あなたは誰?」
「お前、何言ってるんだ? ワシが誰かだと?」
「は、はい。あなたみたいにやたらと距離が近くて、声がでかい人は知り合いにはいないけど……そもそもここはどこですか?」
「ナムチ、お前変なものでも食べたか? ワシはお前の兄のタケルに決まっているだろ。それでここは因幡国(いなばのくに)。お前はワシらの命令で便利に動く〝弱虫ナムチ〟だろ? ガッハッハ!」
「……は? ナムチ? イナバ?」
「ほら、行くぞ! おい、さっさと荷物を持て!」
タケルと名乗る大男は力強い手つきで俺の腕を引っ張り、無理やり立ち上がらせた。当たり前のように大量の荷物を持たせると俺にまともに説明しないまま、すぐに歩き始めた。何が起こっているのか全くわからない。だけど俺のことを知っているようだし、とにかく今は彼らについていくしかないだろう。
……って、おいおい! ちょっと待てよ。みんなの歩くスピードが尋常じゃないぞ。全員オリンピックの金メダリストなのか? 競歩とかのプロなのか?
「うわうわ! ちょっと待っ……てって……あれ?」
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