「あえて失敗せよ」全米トップ大学異例授業の真意 意図的に誰かから拒絶される体験から学べること
人は、「どうせ拒絶されるだろう」という理由で、欲しいものを求めないことが多い。だが、「どうせ失敗する」と考えるのは、失敗する準備をしているのと同じだ。私たちは、求めていないものは手に入れられない。学生たちはこの演習を通して、人間はどんな行動が拒絶されるかを予測するのが下手で、それを確実に知るには実際に試してみるしかないという真実に気づくのだ。
失敗は頭で考えるほど「致命的」ではない
2つめの教訓は、「失敗の痛みは、頭で考えているほどたいしたものではない」だ。
この演習で、近くで作業していた建設作業員にブルドーザーを運転させてもらえないか尋ねた学生がいた。このリクエストはきっぱり拒絶された。だがこれをきっかけに、建設作業員に不動産開発の業界話をあれこれ尋ねることができた。結果、学生はこの作業員の勤務先の会社でインターンとして働かせてもらえることになった。
とても恥ずかしがり屋の別の学生は、演習の最初の14分間、勇気を振り絞って誰かに声をかけようとしながら、それができずに不安な気持ちで廊下を歩き回っていた。残り1分になったとき、彼女はおそるおそる通りすがりの女性に、履いている靴を履かせてほしいと尋ねた。「申し訳ないけどお断りしておくわ……なぜかはわかってくれるでしょう?」とその女性は冷静に答えた。
学生は初め、拒絶された瞬間に自分が泣き出すと思っていた。ところが、逆に重圧から解放されて心が軽くなった。相手はこの馬鹿げたリクエストに、丁寧かつユーモアを交えて答えてくれた。猛烈な恥ずかしさを感じると思っていた学生は、深呼吸をし、笑顔で女性に礼を伝え、教室に戻ってきた。
その後、この学生はカリフォリニア大学バークレー校の学生自治会の役員に立候補して当選した。勇気を出し、失敗は致命的ではないと学べたからこそ、引っ込み思案な彼女は自治会の選挙に立候補するという大胆な道を切り開けたと話してくれた。
幾度もの失敗を経ずに有意義な変革が実現したことはない。
変革を導く「チェンジメーカー」であるとは失敗することであり、失敗を受け入れることにほかならない。大事なのは失敗という存在とどう向き合うか。失敗するのは、何か意味のあることに取り組んでいる証だ。失敗がなければ進歩は決して生まれない。
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