正真正銘の「論破王」孟子が実は超現代的な理由 古典の教養がないことは「致命的な弱点」になる

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どうやら思想というものは、古今東西の違いを超えて、同じ韻を踏むようだ。

そうだとすると、古典思想という教養がないことは、致命的な弱点となる。混迷する時代においては、特にそうだ。

例えば、故・安倍晋三元首相は、山口県出身ということもあって、吉田松陰を尊敬していたと言われている。だが、安倍政権の政策は、吉田松陰が傾倒した孟子の「王道」とは逆に、新自由主義という「功利」を追求し、アメリカの「覇道」に従属しようとするものではなかったか。

財務次官より経済学を正しく理解していた「孟子」

もう一つ、例を挙げておこう。

2021年10月、月刊誌『文藝春秋』11月号において、当時、財務省の事務次官であった矢野康治氏が「財務次官、モノ申す「このままでは国家財政は破綻する」という論考を発表して話題となったことがあった。

矢野氏の主張は、景気回復よりも財政健全化を優先すべきだとし、歳出削減と消費増税を正当化するものであった。その議論の誤りについては、拙著『楽しく読むだけでアタマがキレッキレになる 奇跡の経済教室【大論争編】』で徹底的に論証したので、ここでは繰り返さないが、以下の引用を見てもらいたい。

財政を健全化するためには、金利ボーナス期間に、単年度収支の赤字幅を十二分に(正確に言えば、少なくとも「成長率-金利」の黒字幅以内にまで)縮めて行かねばなりません。そうすれば財政のさらなる悪化はなんとか回避できます。それが日本の目指すべきボトム・ライン(最低限の目標)であり、王道なのです。

ここで矢野氏は「王道」という言葉を不用意に用いているが、大場氏の解説によれば、孟子の「王道」とは、「国民の資産、すなわち『民富』こそが国力であり、税収の多さ、すなわち『国富』は国力ではない」という議論だった。しかも孟子は「減税による一時的な税収の低下があっても国民所得上昇による長期的な税収の上昇をはかるべきだ」という趣旨の主張をすることもあったという。

要するに、孟子は、矢野財務次官よりもはるかに、マクロ経済学的に正しい理解をしていたのであり、それこそが「王道」なのであった。ところが矢野氏は、「王道」という言葉を、その本来の意味とは逆の文脈において使ってしまったのだ。

中国思想という武器をもたないエリートは、何の役にも立たないのである。

裏を返すと中国思想は、確かに、現代においても十分に通用する武器になる。本書のタイトルに偽りはない。

中野 剛志 評論家

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なかの たけし / Takeshi Nakano

1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文‘Theorising Economic Nationalism’ (Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『奇跡の社会科学』(PHP新書)などがある。

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