民間会社を戦場に近づける「経済効率」と「技術力」 「ワグネル」のような戦争請負会社が世界を脅かす
ピーター・ウォーレン・シンガーの『戦争請負会社』(2003年)という作品は、この問題に関する先駆的作品である。彼によると、戦争請負会社が出現しはじめたのは冷戦終結以後だという。1995年のシエラレオネ紛争、そして1991年ごろから2001年まで続いたユーゴ紛争の頃からだったという。
ではそれらの企業は何を行うのか。直接戦争に従事するだけではなく、もっと広く戦争に関係する業務を行うのだ。シンガーはこう述べている。
「こうした会社は、民営軍事請負企業(PMF=Privatized Military Firm)と呼ばれる新しいものである。戦争と深く関連する専門的業務を売る営利組織である。軍事技能の提供を専門とする法人で、それには、戦闘作戦、戦略計画、情報収集、危険評価、作戦支援、教練、習熟した技能が含まれている」(『戦争請負会社』山崎淳訳、NHK出版、34ページ)
軍事に関するよろず屋というわけだが、資本に国籍がないように、こうした企業の成員に決まった国籍はない。世界中の選りすぐりの軍事専門家が集められている。それは、新しい産業とも呼べるものかもしれない。民営化によって民間に委託されない最後の砦ともいわれていた軍事部門が民営化することで、新たな現象が起こってきたともいえる。
PMFを国家が統制できるのか
なるほど近代の戦争は徹底的に情報戦と技術戦になっている。兵士と兵士が向き合う戦争よりも、情報と技術により相手をミサイルやドローンで殲滅するピンポイントの攻撃である。ウクライナ戦争を見ても、ピンポイントで狙ってくる攻撃は、特殊な技術をもった専門家によるところが多い。こうした技術や情報は、国家ではなく民間会社のほうが得意である。
経済効率や最新の軍事技術の導入という点で収益性の高い軍の民営化だが、心配なことはPMFを統制する国家の役割が減少することである。戦前のような軍の暴走をチェックすることが可能なのかどうか。それは、文民統制の問題である。もっといえば、私企業である以上、利潤を上げることが最重要課題である。そうすると、つねにPMFは、受け取る金額を増大させるために、戦争あるいは戦争の危機を国民にあおり続けなければならないという危険性がつきまとうのである。
金の切れ目が縁の切れ目ということば通り、それまで味方であったPMFが敵国にねがえることもありうる。金を惜しんではいけないのだ。企業は利潤拡大のために必死に努力するとすれば、現代社会では戦争の危機があおられ続けることになり、隣国への疑心暗鬼の中、無駄ともいえる予算をこれらの企業に注ぎ続けなければならなくなっているともいえる。
皮肉なことだが、アルジェリアの独立運動で指導的役割を果たし、夭折したフランツ・ファノン(1925~1961年)が『地に呪われたる者』(1961)という作品の中で述べていたことが思い出される。それは、軍を民兵組織にしない国は、軍部によって裏切られるか、外国の介入によって崩壊するしかないという言葉だ。もちろん民兵とは私企業のことではない。すべての人々が、1人ひとり軍務につくことである。
もちろん、今のわれわれに必要なことは、軍人としての民兵になることではない。国軍の拡大、PMFの拡大によって、国家を無駄な危険と無駄な出費にさらさせないように、つねに彼らの行動を監視するウォッチャーとしての民兵になることである。それのみでしか、いまや文民統制など不可能な危険な時代に入ったともいえるのだ。
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