だが大田は、1951年を境に、ふっつりと関係者の前から姿を消した。「闇屋どうしの争いに巻き込まれて殺されたのだ」という噂が流れたりもしたが、大田は戸籍を失い、「横山道雄」と名を変え、年齢を偽り、新たに築いた家族にさえ長いあいだ自らの正体を明かさずに、1994年まで生きたのだ。
私は、偶然に出会った大田の遺族を通じてその後の大田の数奇な生き方を知り、取材を重ねて今年6月30日、『カミカゼの幽霊』(小学館)という本を上梓した。大田はなぜ、「死人」となって生き続けなければならなかったのかを、桜花を積極的に採用した海軍上層部の責任とともに解き明かそうとした一冊である。
桜花の発案者と新幹線0系の邂逅
戦後の大田の足取りを追ってみると、ときどき新幹線を利用した形跡がある。大田はその車両が、空技廠で桜花の採用を談判したときのあの技術者が手がけたものだと知っていただろうか。もし、戦後どこかで三木と大田が再会していたら、どんな会話が交わされただろうか。

