だが大田は、1951年を境に、ふっつりと関係者の前から姿を消した。「闇屋どうしの争いに巻き込まれて殺されたのだ」という噂が流れたりもしたが、大田は戸籍を失い、「横山道雄」と名を変え、年齢を偽り、新たに築いた家族にさえ長いあいだ自らの正体を明かさずに、1994年まで生きたのだ。
私は、偶然に出会った大田の遺族を通じてその後の大田の数奇な生き方を知り、取材を重ねて今年6月30日、『カミカゼの幽霊』(小学館)という本を上梓した。大田はなぜ、「死人」となって生き続けなければならなかったのかを、桜花を積極的に採用した海軍上層部の責任とともに解き明かそうとした一冊である。
桜花の発案者と新幹線0系の邂逅
戦後の大田の足取りを追ってみると、ときどき新幹線を利用した形跡がある。大田はその車両が、空技廠で桜花の採用を談判したときのあの技術者が手がけたものだと知っていただろうか。もし、戦後どこかで三木と大田が再会していたら、どんな会話が交わされただろうか。
人間爆弾「桜花」と新幹線0系、その数奇な関係
前へ
-
海軍空技廠飛行機研究係総員の記念写真。1940年8月
撮影(写真提供:松平精)
-
人間爆弾「桜花」を発案した大田正一少尉(のち中尉)
(写真提供:湯野川守正)
-
桜花を設計した空技廠の三木忠直技術少佐
(写真提供:松平精)
-
米軍が上陸後、沖縄で未使用のまま鹵獲された桜花
(写真提供:湯野川守正)
-
鹵獲した桜花をもとに、米海軍が作成した透視図
(写真提供:潮書房光人新社)
-
桜花を胴体の下に懸吊し、まさに出撃直前の神雷部隊の
一式陸攻(写真提供:神雷部隊戦友会)
-
鉄道の振動問題を研究する松平精(奥の人物)
(写真提供:松平精)
-
鉄道技術研究所時代の三木忠直(左の人物)
(写真提供:松平精)
-
東海道新幹線開業日のスタンプが入った記念絵葉書
(筆者所蔵)
-
桜花の発案者・大田正一は名を変え戸籍も失い、家族にさえ
も正体を隠し1994年まで生きた(写真提供:大屋隆司)
次へ
-
著者フォローすると、神立 尚紀さんの最新記事をメールでお知らせします。
著者フォロー
フォローした著者の最新記事が公開されると、メールでお知らせします。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。
こうだち・なおき / Naoki Koudachi
1963年、大阪府生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。1986年より講談社「フライデー」専属カメラマンを務め、主に事件、政治、経済、スポーツ、災害等の取材に従事。1995年、戦後50年を機に戦争体験者の取材を始め、以後、インタビューした旧軍人、遺族は500人を超える。1997年よりフリー。著書に『カミカゼの幽霊』(小学館)、『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人々は何を語ったか』(講談社ビーシー)、『祖父たちの零戦』(講談社)、『特攻の真意~大西瀧治郎はなぜ「特攻」を命じたのか』(文春文庫/光人社NF文庫)、『証言 零戦』シリーズ全4冊(講談社+α文庫)などがある。NPO法人「零戦の会」会長
無料会員登録はこちら
ログインはこちら