家族だからといって、とかくベッタリしたり、誰かが犠牲になったりしてはいけない。楽しそうに見える人並みの家族の形をまねることで安心している「偽装仲良し家族」に、氏は異議を唱えているわけです。
子どもを盲愛する親から、公共の場で平気で迷惑をかけられた人は少なくないと思いますが、自分たちさえよければいいとする排他的な「家族という名の暴力」にも異を唱えておられます。私は氏が本書で、家族を美化し盲信することに警鐘をならしておられるのだと読み取りました。
大切なのは思いやる心
私は根強い韓流ドラマファンですが、中でも「がんばれクムスン」のような“家族”がテーマのものを見ては、しょっちゅう感動して泣いています。このようなドラマでは、家族や友人がどんなに憎しみあい誤解が生じようとも、最後はとことん相手を思いやり、それを伝えることで誤解が解けていきます。悪役はありえないほど悪く滑稽で、ドラマの質を下げていると思うのですが、思いやりを伝える心や言葉は半端ではなく感動的です。
ドラマだから言える言葉かもしれませんが、感動的なセリフはメモに取って、その心を学んでいます。
このような家族ドラマが多くのファンの心をつかんだのは、多くの人が「家族はしんどい時があっても本音をぶつけ合い、それを乗り越え、お互いに心を通わせ思いやることが大切だ」と認識しているからだと思います。大きな仕事を成し遂げた人や、大きな危機にあった人たちも、多くの人は決まって「家族が支えだった」と言います。
この本のキャッチコピーや見出しは目を引き、面白いのですが、本の内容に関して誤解を招くようにも思います。家族と折り合いが悪いのは自分だけではないとあきらめ、修復する努力を放棄する人が続出しないか案じてしまうのです。しかし、氏が言いたいことは決してそのような内容ではないと思います。
氏は世間で美化されているような家族像に惑わされてもいけない、と警鐘を鳴らしているのです。氏は本音でぶつかりあって、思いやり支え合う家族までをしんどいと言っているわけではないのです。
ほかの“幸福な家族像”に惑わされることなく、もたれ合いや犠牲を強いず、自分たちに合った、多様な家族の幸せのあり方を探るべき、というのはそのとおりだと思います。そのためには本音でぶつかりあいつつも、常に思いやりでつながっていくことが、家族を形成するうえで非常に大切なのだと、改めて実感しました。
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