下重氏の場合、親からの干渉が厳しく、やりたいことができなかったのでもありません。おカネでもめたのでも、親の扶養を巡ってけんかしたのでもありません。父上が危篤状態となり、最初で最後に病床へ駈けつけたとき、枕元には氏が活躍しているのを報じる新聞の切り抜き記事が置いてありました。このことからも、氏は両親からあふれる愛情を受けなかったというわけでもないようです。
下重氏が両親を許せなかった理由は、正義感の差かもしれませんが、あの特殊な時代を考えれば、娘なら十分に理解できたのではないかと思えるものでした。こうした悲劇を防ぐことはできたはずです。私は、下重氏の強い潔癖感が、必要以上にしんどくさせてしまったのではないかと感じました。
ほかの幸福な家族をまねた“偽装家族”への警鐘
しかし、私がこの本に書かれたことを間違っていると言っているわけではありません。共感するところも多々ありました。「家族のことしか話題がない人はつまらない」「夫のことを『主人』と呼ぶおかしな文化」「家族の期待は最悪のプレッシャー」など、どれももっともなことだと思います。言い古された言葉のようにも思いますが、それが1冊に収まったことで、読者に与えたインパクトは大きかったと思われます。
中でも私が注目したいのは、下重氏が「日本人の多くが『一家団欒(だんらん)』にあこがれ、その呪縛にとらわれているが、家族とは、それほどすばらしいものか」と問いかけている点です。また、正月の過ごし方に関しても、「お正月は皆、団欒するものと信じ切っているおめでたさが問題」と指摘しています。
加えて、「他家をまねて、家族は団欒するものとお互いに偽って団らんする家族を演じるよりは、正直に向き合えば親子は対立せざるをえず、見栄で繕った家族よりは、バラバラで仲の悪い家族のほうがずっと正直でいい」という指摘には、私も賛同します。
しかし、「家族ほどしんどいものはない」からといって、何の努力もせず、家族はバラバラのままが自然、とばかり言ってはいられません。現在の下重夫婦は、お互いに家族でも相手の心の中には踏み込まず、「家族の形式」にはこだわらないが、心は触れ合い、相手を思いやる気持ちを大切にしておられます。家族というだけで犠牲を強いたり強いられたりせず、もたれ合わず、価値観を共有できる人と暮らせることはよかったということです。
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