「車優先」で相次ぎ廃止、今はなき路面電車の記憶 近年は「復権」、存続していれば観光資源にも?

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福岡県では西鉄(西日本鉄道)が北九州市と福岡市に路面電車網を展開していた。とくに北九州市内には、門司区・小倉北区・八幡東区・八幡西区の市街地を東西に貫く北九州本線(29.4km)を幹線として戸畑線、枝光線、北方線の支線を張り巡らせており、総称として北九州線と呼ばれていた。

北九州線は八幡製鉄所をはじめとする工業地帯を結ぶ足として、電車も大型の3車体連接車を投入し高速運転していたが、1970年代に入ると製鉄所の事業縮小とモータリゼーションにより乗客が減少、2000年11月に全廃された。ちなみに、路面電車タイプの車両で運行している筑豊電気鉄道の黒崎駅前―熊西間は、かつて北九州線だった区間である。

西鉄北九州線 連接車
利用者の多かった西鉄北九州線は大型の連接車を運行していた(撮影:南正時)

福岡市内線は貫通線、循環線など6つの路線があり、一部は宮地岳線(現在の貝塚線)に乗り入れていた。こちらの全廃は北九州線より早く、最後まで残った循環線も1979年2月に廃止された。

西鉄福岡市内線 500形
西鉄福岡市内線は1979年2月までに全廃された(撮影:南正時)

日本初のワンマン電車は名古屋市電だった

筆者にとって思い出深い路面電車が名古屋市電である。名古屋は筆者が青春時代を過ごしたところであり、1964年の東京オリンピックの際は栄交差点で市電と聖火リレーを出迎えたことなどさまざまな記憶がある。

名古屋市電 1964年 栄交差点
1964年の栄交差点。東京五輪のマークを掲げた百貨店の前を市電が行き交う(撮影:南正時)
名古屋市電 名古屋駅前 渋滞
名古屋駅前の渋滞に巻き込まれる名古屋市電(撮影:南正時)

名古屋の路面電車は、1898年に名古屋電気鉄道によって京都に次ぐ日本で2番目の電気鉄道として開業し、1922年に市の運営となった。その後は着々と路線を広げ、新たな施策も次々と採り入れた。「急行」の運転や、1954年には下之一色線で日本の路面電車として最初のワンマン運転を実施したことは特筆される。筆者は18歳の時、このワンマン電車を撮影に尾頭橋へ出向いたことを記憶している。名古屋市電は1959年3月の東山公園―星ヶ丘間開業によって総延長106.3kmに達したが、1960年代になると部分廃止が相次ぎ、1974年3月には全線の営業運転を終えた。

岐阜市内には名鉄(名古屋鉄道)の路面電車があった。岐阜市内線は、岐阜駅前から長良北町、忠節まで7.6kmを結び、忠節からは郊外へ延びる鉄道線、揖斐線へ直通運転していた。岐阜市は車社会の進展、促進などの理由から路面電車に対して否定的で、名鉄が廃止を表明した後に市民らによる存続を求める声もあったものの、同じく市内を走る軌道線の美濃町線などとともに2005年4月に廃止された。

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