「車優先」で相次ぎ廃止、今はなき路面電車の記憶 近年は「復権」、存続していれば観光資源にも?

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東北地方では、かつて仙台と秋田に市電があった。今は地下鉄が走る仙台は、1926年に市電が開業し、中心部の環状路線と4方向に延びる支線からなる路線網があった。しかし、この都市も車社会を優先して1966年には軌道敷への自動車の進入を認めるようになり、定時性の低下から乗車人員は減少の一途をたどった。1976年3月末限りで全線が廃止されてしまったが、一部車両は保存され、地下鉄富沢車両基地内の仙台市電保存館で往年の姿を見ることができる。

仙台市電
1976年に全廃された仙台市電(撮影:南正時)
仙台市電
交差点を走る仙台市電(撮影:南正時)

秋田市電は明治時代に開業した馬車鉄道が始まりで、のちに電車に切り替えて秋田電気軌道と改称、1941年に市営化されて秋田市電となった。路線は全線で約8kmと短かったが、戦後の最盛期にはラッシュ時最大6両の続行運転を行ったという。廃止は早く、クルマ社会の進展により1966年3月31日に正式廃止となった。

路面電車は「文化水準」の証?

北陸は近年、富山のライトレールや福井鉄道の低床車両導入など、路面電車の動きが活発な地域であるが、北陸3県の県庁所在地の中で最大規模の金沢市は路面電車がない。かつては北陸鉄道金沢市内線が存在したが、モータリゼーションの進展などにより1967年2月に全線が廃止されてしまった。北陸新幹線の効果により金沢には多くの観光客が訪れているが、もし路面電車が残っていれば、と筆者はドイツ、スイスの路面電車のことを金沢市とオーバーラップさせるのである。

さて、消え去った各地の路面電車を振り返ってきたが、最後に触れたいのは東京都電である。都電は最盛期には営業キロ約213km・40の運転系統を擁し、1日平均約175万人が利用する日本最大の路面電車であった。クルマ社会の到来と共に次々と廃止され、現在はほとんどが専用軌道の荒川線(早稲田―三ノ輪橋・12.2km)が残るだけになったが、レトロ車両の投入や下町の雰囲気が感じられる沿線の人気などで利用者は多く、観光資源ともなっている。

都電 日本橋
日本橋を走る都電(撮影:南正時)
荒川線7000形
車体更新・ワンマン化される前の都電荒川線7000形(撮影:南正時)

先述の京都市電とともに、今も残っていればと筆者が思うのは横浜市電である。港町を闊歩する路面電車、これこそ横浜の文化を表す市内交通ではなかろうか。観光活性化にも大きく寄与したことだろう。「路面電車はその都市の文化水準、都市環境の高さを物語る」が筆者の持論である。

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南 正時 鉄道写真家

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みなみ・まさとき / Masatoki Minami

1946年福井県生まれ。アニメーターの大塚康生氏の影響を受けて、蒸気機関車の撮影に魅了され、鉄道を撮り続ける。71年に独立。新聞や鉄道・旅行雑誌にて撮影・執筆を行う。

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