「真田軍に負けた家康」思考停止に陥る戦のリアル 「誰が敵か、味方なのか」もはやわからなくなる

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味方(徳川方)の中でも仲間割れに類することが起きていたようだ。

大久保忠世は、平岩親吉の部隊に乗り込み「あなたの部隊を、川を越えさせて、我らの部隊の後に付けてください。敵方がまとまらないうちに、我らが斬ってかかろうと思う」と提案。だが、平岩は忠世の提案をとんでもないと感じたのか、返事もしない。

業を煮やした忠世がふたたび平岩に呼びかけるも、平岩は頷かなかった。忠世は「日頃からそんな考えの奴だから、役に立たぬのだ。浅ましい」と捨て台詞を残して、平岩のもとを去る。

忠世は、今度は鳥居元忠のもとに向かい「平岩に援軍を要請したが、震えるばかりで物も言わぬ。そこで、元忠の部隊を我が軍の後から前進させてほしい」と主張するが、なんと鳥居も返事しなかった。

さすがの忠世も呆れて「下戸に酒を強いるようだ。役に立たぬ」と言うと、保科正直のもとに駆け込む。しかし、保科はこれまでの者以上に体を震わせ、返事もしない。そんな忠世が自分の部隊に戻るときに出会ったのが、大久保忠教だった。

出撃する気力も失う徳川軍

忠教は忠世に「敵が川を越せば、味方は敗れる。鉄砲隊を河岸にお出しなされ」と勧めるも、今度は忠世が無言となり、ただ手を振るのみだった。忠教が「手を振っていても、仕方がない。早く出撃を」と粘ると、忠世は「玉薬がない」と呟く。「玉薬がないということはないでしょう。早く出撃を」と忠教はさらに主張した。

すると忠世は「若造が何を言うか。我が方は、すべての者が腰が抜けて、出撃する者は誰もいない。腰が抜けたといえば、言った者が他人に弱みを見せたことになろう。だから、玉薬がないと言ったのだ」と本音を吐き出した。忠教はその言葉を聞いても、河岸に向かったようだが、敵は川を越えずに退いたので、忠教も引き上げることになった。

『三河物語』に記されたこれら逸話が、どこまで真実を伝えるものかはわからない。だが本当であるならば、戦を重ねた武将であっても、敗戦となれば、身体が震え、思考が停止するということだ。戦のリアルがわかり、興味深い。上田城の戦いで、徳川方は1300人余りが討たれたという。徳川は真田に負けたのだった。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数
X: https://twitter.com/hamadakoichiro
 

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