「ビームス」創業から47年"らしさ"継承への難題 設楽洋社長は「3年後75歳」で会社を譲ることを決断

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また、設楽さんは、アパレル以外の領域や、BtoBビジネスをもっと広げていくべきと考えてきたが、ファッション小売がビームスの主軸という考えが、特に幹部層の間で強かった。それが、コロナ禍で意識転換せざるを得なくなったのも大きな成果だという。

例えば、「ダイワ」のブランド名で釣り具などを総合的に扱っているグローブライドは、「DAIWA PIER39」というアパレルブランドを手がけているが、これはビームスが、企画から販促まで、まさにトータルで行ったもの。こういったBtoBビジネスは、今後もどんどん広げていくという。

「うちの業界から見たら異業種の企業の方々から、『一緒に何かできないか』と声をかけていただくのですが、その数が年間で500を超えていて、ありがたいことと受け止めています」(設楽さん)

「リーダーが果たす役割は、方法論を伝えることより、モチベーションをデザインすること、いわば情熱の芽を植えていくような仕事ととらえています」。社員が活き活きと「明るさ」や「楽しさ」を生み出し、世の中に広めていく。そこに“らしさ”の根幹があるとよくわかった。

「明るく楽しい社会現象を起こす」

これからの時代、「おそらく『儲かる』という視点で言えば、AIが社長を務めた方がいいのではないでしょうか」(設楽さん)

ただビームスは、「儲かる」だけを目ざすのではなく、「明るく楽しい社会現象を起こす」を標榜していく。

ビームスと一緒に何かやりたい、そういう人が集ってくるコミュニティであってほしいという。そのためには「楽しさ」と「儲け」の絶妙なバランスをとっていく必要があり、そこはAIが務まる領域ではない。

では、「楽しさ」と「儲け」のバランスはどうとっていくのか――「完全に直感ありき。今までは7〜8割は当たっていたのですが、これが5割だったら企業として存続できなかったでしょうね(笑)」。設楽さんは「直感」と表現したが、そこには過去からの膨大な経験値や、長年にわたって鍛えられてきた分析・判断力が自ずと働いてのことだ。

設楽洋(したら よう)/1951年東京都生まれ。1975年慶應義塾大学経済学部卒業、電通入社。プロモーションディレクター・イベントプロデューサーとして数々のヒットを飛ばす。1976年「ビームス」設立に参加。1983年電通退社(撮影:尾形文繁)

「今は世界がものすごい勢いで変わっていて、これから人の価値観や暮らし方は、大きな変化を遂げていくと見ていますが、そういった時代における『ハッピー』とは何か、そこを追求していくのがビームスの“らしさ”です。国内にとどまることなく、世界に向けて広げていってほしいと考えています」という言葉が力強く響いた。

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川島 蓉子 ジャーナリスト

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かわしま ようこ / Yoko Kawashima

1961年新潟市生まれ。早稲田大学商学部卒業、文化服装学院マーチャンダイジング科修了後、伊藤忠ファッションシステム入社。同社取締役、ifs未来研究所所長などを歴任し、2021年退社。著書に『TSUTAYAの謎』『社長、そのデザインでは売れません!』(日経BP社)、『ビームス戦略』(PHP研究所)、『伊勢丹な人々』(日本経済新聞社)、『すいません、ほぼ日の経営。』『アパレルに未来はある』(日経BP社)、『未来のブランドのつくり方』(ポプラ社)など。1年365日、毎朝、午前3時起床で原稿を書く暮らしを20年来続けている。

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