そのうえで、神宮外苑の現状計画を支持し、反対派を批判する人の意見を聞くと、神宮外苑は私有財産だから何をしてもいいはずだといった声が多いことに驚かされます。
世界の先進国で、日本ほど土地について完全な所有権を認められている国は他にありません。だから、土地に対する規制が極めて強い中国の人たちが競って日本の土地を買うのです。自分の土地だからどうしようが勝手だというのは、この限りある地球の一部を自分だけが好き放題に使っていいなどという、今どき考えられない反SDGs的な発想です。
欧米に見られる「コモンズ」の概念とは
どの国でも、資本主義の本家本元であるイギリスでもアメリカでも、土地というのは公共的な観点から所有者が使用や処分の制限を受けるものです。限りある地球の一部が完全に自分だけのものだ、などということがあり得ないのは、冷静に考えてみればわかるはずですが、そうした発想もできないほど、今の日本では「公共」の概念が失われてしまっているのです。
イギリスやアメリカには、「コモンズ」(commons)と呼ばれる公園のような広場があります。私有財(private goods)や公共財(public goods)と対比される共有財(common goods)という概念で、日本語に訳せば「共有地」や「入会地」です。民間の私有地でもなければ国や地方公共団体の所有地でもなく、誰もが自由に利用でき、占有が許されない、まさに「共有地」と呼ぶべき場所です。
シカゴ大学と東京大学で教鞭を執った経済学者の宇沢弘文は、こうした豊かな生活を営むための共有財産を「社会的共通資本」と呼び、資本主義的な市場取引の対象にしてはいけないものとして定義づけました。
神宮外苑の再整備のあり方については、こうした視点で考えることが必要ではないでしょうか。神宮外苑が、東京大空襲で壊滅した首都東京の中で、僅かに生き残った「都市の記憶」の場所であることも考えるべきです。私たちは過去の記憶もない平板な場所で、これから生きていくのかと。
ですから、再開発反対を訴えている人たちを、単に遅れてきた共産主義者やリベラル左派が、「木を切るな」と言って情緒的に騒ぎ立てているといって非難すれば済むという単純な話ではありません。
「貧すれば鈍す」と言いますが、今の日本はこうした公共財を食い潰さなければならないほど経済的に困窮しているということだと思います。逆説的な言い方をすれば、資本主義的な成長がなければ人心は荒んでしまい、今回のようにかえって極端な資本主義的行動に走ってしまうということです。
つまり、資本主義の暴走を抑えるためには資本主義がほどよいレベルで回っていなければならないということです。人間の欲求を5つの段階に分類して階層的に説明するマズローの欲求5段階説で言うところの、生理的欲求や安全欲求という低次の欲求を満たすために、必要最小限の資本主義の力が必要なのだということです。
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