「切腹する」と言って譲らない家康
知恩院へ入って追腹を切る――。
知恩院とは、松平家が代々信仰してきた「浄土宗」の総本山である。
1582年6月、「本能寺の変」で織田信長が明智光秀よって討たれると、動揺した徳川家康が「信長の後を追い、切腹する」と言い出したのだから、重臣たちも慌てたに違いない。
いかにして、家康の切腹を止めるかにおいて、家臣のチームワークが発揮されることとなった。口火を切ったのは猛将・本多忠勝である(前回記事「家康が「自決も覚悟」本能寺の変直後に下した決断」参照)。
知恩院へ入って追腹を切る――。
知恩院とは、松平家が代々信仰してきた「浄土宗」の総本山である。
1582年6月、「本能寺の変」で織田信長が明智光秀よって討たれると、動揺した徳川家康が「信長の後を追い、切腹する」と言い出したのだから、重臣たちも慌てたに違いない。
いかにして、家康の切腹を止めるかにおいて、家臣のチームワークが発揮されることとなった。口火を切ったのは猛将・本多忠勝である(前回記事「家康が「自決も覚悟」本能寺の変直後に下した決断」参照)。