社会保険が子ども・子育てを支えるのは無理筋か 「提唱者」権丈善一・慶応大教授が寄稿(上)

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こうした、支出の膨張や収入の途絶には、賃金システムは、対応していない。いやできないのである。民間保険や個人の貯蓄努力で対応すべきとの声もあるかもしれないが、人間は自分の高齢期という遠い先のことを考えて、後に後悔することのない合理的な行動をすることをどうにも苦手としているようなのである。

そこで、多くの国々は、高齢期の支出の膨張や収入の途絶に対応する公的医療保険制度や公的年金保険制度を整備していった。これらは、ライフサイクルにおける困ったときや必要なときのために消費を平準化させる社会保険による所得再分配である。

と同時に、社会保険は貧困に陥るのを未然に防ぐ「防貧制度」として機能し、高齢貧困者を大量に生まない社会の構築に寄与した。

このようにして、「市場による貢献原則に基づく所得の分配を、必要原則に基づいて修正する社会保障(=再分配制度)」が誕生、普及、定着していった。

しかしそうすると、新たな問題が生まれていった。

ミュルダール夫妻が指摘した「人口問題の危機」

1934年にスウェーデンのミュルダール夫妻は、『人口問題の危機』を出版して、高齢期の生活を社会化していくと少子化が進むことを予測している。このあたりは、「第1回こども未来戦略会議」で私は次のように話している。

医療、介護、年金保険のような高齢期の生活費を社会化していくと、普通に考えれば少子化が進みます。少子化を問題視するのであれば解決策は2つしかなく、1つは、高齢期向けの社会保障をなくしていくこと。いま1つは、出産と育児に関する消費を、例えば介護のように社会化していくことになります。
1934年に、スウェーデンのミュルダール夫妻という有名な夫妻がいたわけですけれども、同様に考えて、家族が合理的に行動した場合の親の個人的利益と国民の集団的利益の間にコンフリクトが生じるとみなして、少子化の予防策としてすべての子どもを対象とする普遍的福祉政策を唱えました。今、この場の会議も同じ課題を議論しているのだと理解しております。

この点、まず、子どもを持つことの便益を考えてみる。かつては、子どもは労働力であったし、勢力を顕示する際の手段でもあり、年老いた親を扶養する役割もはたしていた。これを経済学の用語で説明すると、子どもは、昔は、親にとっては投資財であったわけである。そしてもちろん、子どもは可愛いという消費財の側面もある。

しかしここで、産業構造が農業や手工業の時代から変わり、親の職業を子どもが継がない時代になっていき、そこに、年金保険、医療保険、介護保険のような、高齢期の生活費を社会化する制度が整備されるとする。すると、親からみれば、子どもが将来に向けての投資財である側面が弱くなっていく。つまり、子どもへの需要が減っていく。

一方で、子どもを持つことの費用は、養育費や教育費としてかかる直接な費用のほかに、経済学でいう機会費用、つまり育児のために女性が休業期間中に失った所得や、継続就業していたのであれば得られたであろう賃金と再就業後に得られる賃金とのギャップが、子どもを持つことの費用として意識されることになっていく。

そして女性の高学歴化が進み、産業構造がサービス産業などへとソフト化していくと生産に対する女性の貢献も高まるため、これら子どもを持つことの機会費用は高くなっていく。

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