35周年「B'z」が"日本一売れるバンド"である所以 ゴリゴリのロックに乗せた「普通の人の視点」
B’z結成のきっかけは、すでにヒットを飛ばしていた、小室哲哉率いるTM NETWORK(以下、TMN)のサポートメンバーをしていた松本孝弘が、自分のバンドを作ろうと一念発起したことにある。当時のプロデューサーだった長戸大幸を介し、“お見合い結婚のように”デビュー前の稲葉浩志を紹介されたのがスタートだ。
デビューしたのは1988年。同年デビューはエレファントカシマシやWink、同年結成はシャ乱Qにウルフルズ、SMAP等など、非常に彩り豊か。光GENJIと長渕剛がヒットチャート首位を争い、アイドルはもちろん、瀬川瑛子やチョー・ヨンピルなど演歌、歌謡曲勢も人気だった。
ランキングにはさまざまなジャンルが混在し、8センチCDという摩訶不思議なメディアが登場……。小室哲哉が渡英し、その後のプロデュース業への布石を打っていたのもこの年。音楽シーンの交差点ともいうべき興味深い年であった。
稲葉浩志は、YouTube番組「MUSIC FUN! × J-WAVE」で公開された蔦谷好位置との音楽対談で、デビュー当時の心境をこう語っている。
「(松本孝弘は)TMNのスケールの大きい、華やかなサポートメンバーをしていて。自分はわりと田舎から出てきて、ロック好きというだけでメジャー感がないというか。そういう自覚があったんです。(松本の)レベルに達するよう、背伸びをする必要を感じていて」
すでに業界でキャリアを積んでいた松本へのリスペクトと自身のコンプレックス。これらを素直に出したことで、「激しいサウンドと、謙虚で追いかける視線の歌詞」というB’z楽曲の黄金比が出来上がったのかもしれない。
「解散したいと思ったことは一度もない」
稲葉の“背伸び”は歌詞だけでなく、歌唱面も然り。1994年まで「3人目のB’z」とも呼ばれ、B’zに深く関わっていたアレンジャー、明石昌夫は、その努力の壮絶さを「ブレスの速さだったり息の長さもどんどん成長してるっていうのが、一緒に周っててもすごく思いましたね」と回想している。
具体的に、『BAD COMMUNICATION』で息継ぎがほとんどできない箇所について言及。
「あの曲カラオケで歌った方はみんな知ってると思うんですけども。あれ息継ぎないでしょ。(中略)最初の頃は稲葉くんはHeyHeyのところ、お客さんに歌ってもらって口だけで、HeyHeyって言いながら息吸ってたっぽいですけども、途中から全部歌えるようになってるんですよね。人間ってすごいですよね。」(Akashi masao Official「明石昌夫の語り場」)
「稲葉ってすごいですよね」ではなく、「人間ってすごいですよね」と表現するところに、規格外の成長をその目で見た人の驚きが漂っている。
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