モラハラで「妻子に去られた夫」たちが集い語る事 「モラハラDV加害者」は本当に変われるのか?(後編)
では、モラハラDVの加害者が内面的な意味で変わるのはどんな場面か。自分から「ケアを始める」という、ケアの主体性を発揮することだと思います。どんなにきれいごとに聞こえても、まずはそれをやってみる。それを何度か続けていくうちに相手からケアが返ってきて、「相互にケアし合える関係」になったとき、内面的にも変わると思います。
自分の存在が穏やかでくつろいだ感じになり、傷つきや恐怖が薄れ、弱さや不完全さとともに生きていっていいんだ、と思える。すると「この世界は信じるに足るんだ」と思えるようになるんですね。
内面の変化が発生するためには、「関わる他者」が必要になる場面もあります。それを同じ「変わりたい」と願う加害者同士でやろう、というのがGADHAのコンセプトです。
――「ケアをし合う関係」を実践し、経験する場として、GADHAを立ち上げたんですね。
おっしゃる通りです。この実践にパートナーを巻き込もうとすると、難しくなってしまうんです。「もうあなたとは一切かかわりたくない」というパートナーにとっては「まだヨシヨシしてほしい(ケアを要求してくる)んですか?」と受け止められるのは自然なことです。
「ケアをする」は、あらゆる人間関係のなかで実践することができます。でも、安心して失敗できるのは加害者同士の場くらいですよね。一般の人間関係で失敗したとき、「今のは『ケアの欠如』なので、僕はあなたから離れます」なんてことは、誰も教えてくれない。でもGADHAなら、そういうことをみんなお互いわかっています。
もう一つ付け加えると、カウンセリングを受けるだけでは、加害はやめられないと僕は思います。なぜならカウンセリングの関係において、加害者は常に「ケアされる側」だから。「お互いにケアする」という練習をするには、傷つけ合い、学び合い、弱音を吐き合って励まし合えるような、当事者間の相互的な関係性が、僕は一番重要だと思っています。
「加害者は変われない」と言われてきた理由
――世間ではよく、「モラハラ夫(妻)は変われない」と言われますよね。
どうして「変わるなどあり得ない」と思われているかというと、一つには「変われたケースを知らないから」だと思うんですね。よく「母親になると人は変わる」「上司になると人は変わる」と言われるのは、そういう例をいっぱい見たから、その人はそう思うわけです。逆に「加害者は変われない」と言うのは、加害者が変わった事例を知らないから。
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