モラハラで「妻子に去られた夫」たちが集い語る事 「モラハラDV加害者」は本当に変われるのか?(後編)
実際に変わった事例はいろいろあるんです。たとえば、児童相談所や警察が呼ばれるような虐待・DVをしていたところから劇的に変わった人もいるし、僕のようにパートナーとの関係が変わっていまは幸せに暮らせているような人もいます。離婚はしたものの、そこから子どもも含めて新しい家族の形を生きている人もいます。
GADHAは、加害者が主体となって「変われる」という事例を社会に発信していくことで、「加害者は変われない」というスティグマを剥がし、それによって自身を加害者と認められる人が増えていく、という好循環にたどり着くことを目指しています。
「自己憐憫」は加害者が非常に陥りやすい状況
――中川さんの著書『孤独になることば、人と生きることば』に、加害者が変容するときの苦しさについて書かれています。なぜ苦しいのでしょう?
加害者の多くは、自分を悪い人だとは思っていないんです。「よかれと思って、やるべきことをやっていただけなのに、あれが暴力だったんだ」とわかると、自分を説明する言葉やアイデンティティがガタガタと崩れていく。自分というものが曖昧になって、すごくしんどくて、鬱になる人も少なくありません。
ここでポイントになるキーワードが「自己憐憫」です。自己憐憫は、加害者が非常に陥りやすい状況です。「環境のせい」「親のせい」と人のせいにして、「自分はかわいそう」という思いに捉われる時期が、絶対にあるんです。だって、誰も加害者になりたくてなっているわけではないですから。
でも、あなたが受けた被害はあなたのせいではないかもしれないけれど、あなたが人を傷つけてきてしまったことは事実で、あなた自身が動き始めることでしか、あなたのことは変えられない。だからGADHAでは、「自己憐憫ではケアに進まないですよ」という話をします。自己憐憫している間は、周りに「許してくれ」と言っているだけ。つまり「ケアの要求」をしているだけなので。
自己憐憫から「ケアする」に向かうエネルギーを作っていくためには、死ぬほど愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたりする場所が必要です。そのためにあるのが、GADHAなんです。
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