葛飾北斎「桶屋の富士」実は富士山ではなかったか 「山の百変化」とでも呼ぶべき描画のパターン

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「富嶽百景」初編より「木花開耶姫命」すみだ北斎美術館蔵(通期展示)(撮影:小川敦生)

「富嶽百景」のある頁に、女性をモチーフにした絵があった。画面左上に「木花開耶姫命」という文字が小さく書かれている。「このはなさくやひめのみこと」と読む。富士山の御神体である浅間大神(あさまのおおかみ)と同一視されている女神だという。北斎がただ風景として富士山を描いていたわけではないことがわかる。

富士山を信仰する「富士講」が広まっていた北斎の時代、富士山は女人禁制だったという。その富士山の御神体である「木花開耶姫命」が女神だったというのは、なかなか興味深い。神話の時代までさかのぼれば、ジェンダーについての意識も変わってくるのだ。

起伏に富んだ山は造形美の宝庫

葛飾北斎「諸国瀧廻り 下野黒髪山きりふりの滝」すみだ北斎美術館蔵(前期展示)展示風景(撮影:小川敦生)

「諸国瀧廻り(しょこくたきめぐり)」は、滝を描いた名シリーズだ。滝は多くの場合、山にあるので、この企画展にも確かになじむ。シリーズ8作のうちの1作「下野黒髪山きりふりの滝」は、奇矯な形を好んで描いた北斎の頭の中を覗かせてくれる。北斎はおそらく、ちょっと面白そうな形を見つけては、クローズアップしたり誇張したりして、造形感覚を磨いたのではなかろうか。起伏に富んだ山は、その素材となる「形」の宝庫である。

日本ではいにしえから滝も信仰の対象だったが、この絵に小さく描かれた旅人たちは素直に滝の豪快な姿を鑑賞しているようにも見える。日光東照宮への参詣の道すがら、実際にこの滝を眺める旅人は多かったという。

江戸後半は旅が盛んな時代でもあった。伊勢神宮や日光東照宮への参詣などの目的があったとしても、旅先で居住地とは異なる風景を楽しむ機会が増え、知らず知らずのうちに「観光」という概念が芽生えていたのではなかろうか。山を描いた北斎の浮世絵は、そうした時代の動向を映す。

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