葛飾北斎「桶屋の富士」実は富士山ではなかったか 「山の百変化」とでも呼ぶべき描画のパターン

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一方、「山下白雨」では、遠近感が巧みに表現されている。左に緩やかに流れた山裾の向こうにうっすらと別の山が見える。富士山の手前では、雷が落ちている。稲光は、山頂よりもずいぶん下に描かれている。つまり、山の下半分がどす黒く、裾野がぼやけているのは、雷雲がかかっているからであることがわかる。

そして、山容の上半分はその雲から顔を出している。富士山自体にも陰影表現と思しきものが施されている。雲も立体的だ。はたして北斎には、よほどの上空からでなければ見えなさそうなこうした光景を実際に目にする機会はあったのだろうか。北斎の想像力の豊かさが実によくわかる。

粉本と呼ばれる見本の画集を参考に伝統表現に従わざるをえなかった御用絵師の狩野派の絵師などとは違って、浮世絵師は伝統から解き放たれていた。むしろ、嗜好の定まった少数のパトロンのために描くのとは違い、町で数百枚から数千枚の錦絵を売る必要があった浮世絵師は、積極的に新奇な表現の開拓をしていた。

だから、長崎の出島経由でオランダから入っていた西洋の絵画表現なども大いに参考にしていた。「赤富士」と「黒富士」の2作を見るだけでも、北斎の心の奥底に根づいていたパイオニア精神のありようがよくわかる。

主役は富士山の手前に描かれた巨木

葛飾北斎「冨嶽三十六景 甲州三島越」すみだ北斎美術館蔵(前期展示)展示風景(撮影:小川敦生)


「冨嶽三十六景」シリーズには、富士山以外のモチーフを主役にした絵が多数ある。それを表現のバリュエーションとして見ていくのは、かなり楽しい。たとえば、「甲州三島越」。存在感を放っているのは、富士山の手前に立つ巨木だ。画面下に小さく描かれた旅人たちは、手をつないで巨木の幹の太さを測ろうとしているらしい。

彼らは、旅の途中で巨木が眼前に現れたことに驚き、好奇心をあらわにしているのだ。こうした描写は、浮世絵を手に持って雑誌のように楽しんでいた江戸時代の多くの庶民の関心を、旅の世界に向けたことだろう。

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