そんな場合は、「建前だけは合わせておく」という選択肢もあります。「他人の領域に踏み込んでくる人」だと明確にしたうえで、「断って取り引きがなくなるリスクを考えれば、相手にあわせているふりをしよう」と譲歩するわけです。
断ろうと思えば断れるけれども、損得勘定をしたうえで、自分のためにあえて相手に合わせるという戦略をとるわけです。
しかし、こういう建前上の譲歩もやりすぎは禁物です。本心と一致しない行動を繰り返すと、たとえ建前だと思っていても心がすさみます。関係を悪くするというデメリットがあったとしても、きっぱりと断ったほうがよい場合もあると想像します。
筆者は須磨崎さんに課題の分離について説明したあと、言葉を続けました。
筆者:須磨崎さん、ご理解いただけたでしょうか。大げさな表現かもしれませんが、これは須磨崎さんが自分の人生を守るための試練です。「心配してくれてありがとう。でも私はサプリには興味がないので飲みません」という具合に、相手の厚意には感謝しつつ、自分の意思を伝えたらよいでしょう。
須磨崎さん:わかりました。もっと早く知っておけばよかった。今まで自分の領域という意識がなく、他人に踏み込ませてばっかりでした。逆に、他人にはおせっかいをしすぎていたかもしれません。なんでそうなっちゃったんだろう。
筆者:これは一般論ですが、小さい頃に周囲の大人がその子の領域をきちんと尊重してくれたら、その子は「ここは自分の領域だ」という認識ができ、「過干渉な人はおかしい」と思えるようになります。しかし、周囲の大人が子どもの領域を侵犯していたとしたら、子どもは過干渉に違和感が持てず、息苦しくても受け入れてしまいがちなのです。
須磨崎さん:なるほど……。なんでもダメだと言われてきた、子どもの頃を思い出しました。
須磨崎さんはその日から徐々に人間関係の距離について理解を深めていったことで、他人との関わり方が安定していったそうです。
親の過干渉が影響することも
筆者の子ども時代を振り返ってみると、過干渉が許される雰囲気が社会全体にあり、「あなたのためを思って」といった押し付けがはびこっていたように思います。そして子どもは親の過干渉を「愛」と誤解して、認識してしまうこともあるのです。
今まで他人にノーと言えなかった人は、自分の領域と境界線をしっかりイメージするといいでしょう。そして他人の干渉には、小さなところからノーと伝えるよう挑戦してみてください。
今までは嫌なことを受け入れてモヤモヤとしていた人は、ノーと言えたあとの晴れ晴れとした感覚にきっと気づくはずです。そうしたらもう、モヤモヤする生き方に戻れなくなるはず。少しずつ確信をもってノーと言えるようになっていくと思います。
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