「奨学金280万円」31歳彼女の苦い20歳の誕生日 父の新しい妻から「授業料は払えない」と電話…

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「さすがに、忍びなかったので、通っていた大学に母子家庭申請をしたところ、学費が半額免除となり、4年間で必要な額は100万円で済むことになりました」

ただ、それだけでは足りないため、第一種奨学金(無利子)を230万円、第二種奨学金(有利子)を50万円、合計で280万円借りることにした(第二種は卒業前に3カ月の短期留学のために借用)。さらに祖父から4万円をもらい、毎月13万円程度で学費、家賃、光熱費、生活費をやりくりしていた。

なかなか切り詰めた生活になったと思われるが、どんなキャンパスライフだったのだろうか?

「今、振り返ってみても、特に勉強に熱心だったわけではないと思います。友達を増やすために適当にサークルにも入っていましたが、バイトに明け暮れる毎日でしたね。飲食店で週に3、4回働いて、入ってくるのは6万円前後。冷静に考えたら、この金額で生活できていたのはすごいことですね。

でも、当時は田舎の物価は安かったのか、飲み会も3000円あれば十分足りました。カラオケも1時間500円で夜中も歌えました。それにボウリングは100円でできたので、お金のかからない遊びばかりをしていましたね」

話を聞く限りは、十分楽しそうだし、大学生らしい豊かな日常だったのでは、とも思える。

ただその一方で、学費免除のために絶対に成績を落としてはいけない……という、プレッシャーもあった。また、件の父親とは、20歳のときに電話をして以来、現在に至るまで連絡を取っていないという。

就職活動は地元で働ける場所を

こうして、学費100万円で大学に通うことのできた原田さん。卒業後は故郷に残してきた母親や妹たちに負担をかけないために、地元企業あるいは地元でも働けるような企業を就職活動では受けることにした。

「金融関係で全国に支店がある企業。さらには支店での採用もあるような会社を探していました。ただ、金融関係の企業は採用枠がそもそも少なく、採用人数は1〜2人ぐらいだったので、なかなか思い通りには進みませんでした。もしかしたら、教育学部の学生は、金融業界には向いていないのかもしれない……。

そう思っていたところ、大学の先輩が3人連続で入社した企業が見つかったんです。ここならチャンスがあるかもしれないと思って、ワラにもすがる思いで応募しました。そしたら、驚くほどスムーズに面接を通過して、内定をもらいました」

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