容赦なく人殺す「信長」意外と知らない"情け深さ" 「傍若無人」と語られる性格は本当だったのか
信長は妹のお市の夫・浅井長政が寝返ったときでさえ、容易に信じようとしなかった。「妹を嫁がせているし、江北の支配も任せてあるのに、何が不満なのか」と驚くばかりだったようだ。謀叛の情報がしきりに入ってきて、やっと信用したという有様だった。
さらには摂津の荒木村重が「謀叛心を抱いている」との報があちこちから入っても、信長は事実ではないと思い、明智光秀等を荒木のもとに遣わしているのだ。「何か不満でもあるのだろう。思うところがあるなら、聞いてやろう」と信長は言っていたようなので、物分かりのよい優しい上司のようにも思える。
ここまでの信長の逸話を読んでいると、「魔王」と言われる信長の面影はない。 信長は、家臣が謀叛しても許していることも多々あるのだ。しかも、その謀叛人の言い分まで聞いてやろうという寛大さもあった。ある意味、自分を裏切り、殺そうという人に対し、ここまで寛大になれる人は、現代人でもそうそういないのではないか。
荒木村重は信長に謀叛したため、荒木一族の妻子は処刑されることになるが、それも殺人鬼のように冷酷な心で命じたわけではなく、「不憫な想い」を抱きつつ命令したのだ。
信長は自分を殺そうとしたり、裏切った者には、容赦ない仕打ちをすることもあるが、さすがに、謀叛人の妻子を多数磔(はりつけ)にして殺害することには抵抗があったと言えよう。
悪をとことん憎む信長
『信長公記』からは、悪を憎み、正義の実現に努めている、という信長の一面を知ることもできる。
例えば次のような話が記載されている。
京都下京に、木戸番の女房がいた。しかし、この女は単なる木戸番の女房ではなかった。多くの女性を誘拐し、堺の町に売り飛ばす人売りだったのだ。女人売りは、信長に仕えていた村井春長軒により捕縛され成敗されたが、このような人売りは許さないというのも、信長の胸中にあったはずだ(この女は、80人もの女性を売り飛ばしていた)。
また、すでに決着した訴訟を、文書を偽造して蒸し返し、信長に直訴した山崎の町人がいたが、彼も「けしからん」と信長の逆鱗に触れ、成敗されている。
信長は不正を憎む精神を持ち、家臣が謀叛をしても翻意するならばそれを許す寛大さを持っていたと言えよう。残虐・傍若無人で塗りつぶされるだけの人物では決してなかったのだ。
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