鉄道輸出「オールジャパン戦略」の時代は終わった 重要部分に日本の技術導入「コアジャパン」へ

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また、1980年代の東南アジア各国には車や家電をはじめとする日本製品が大量に輸出されており、このような日本の“経済支配”に対する激しい反日運動がタイやインドネシアを中心に展開され、日本のODAは岐路に立たされた。

鉄道案件については、当時は国鉄(日本国有鉄道)が大きな役割を果たしており、対象国、プロジェクトに適した車両や技術の諸元を開示し、それぞれの分野に強みを持つ車両メーカーや重電メーカーなどに仕事を割り振っていた。このため、当時の受注者は現在のようなメーカー単体ではなく、ほとんどの場合企業連合を組み、幹事企業を筆頭に複数社が一括で受注していた。よって、今日見られるような日系企業同士での受注争いが起きないことから、安値受注が回避された。

タイに輸出された日本製蒸気機関車
1936年から1952年にかけて日本からタイへは150両以上もの蒸気機関車が輸出されている。写真は1950年に製造された薪燃焼仕様のミカド型。GHQの指導のもと、タイはディーゼル機関車をアメリカに、蒸気機関車を日本に半数ずつ発注していた(筆者撮影)
タイ国鉄RHN型
日本からタイ国鉄へ1971年に導入されたRHN型気動車。国鉄のキハ20系列に準じた設計で、製造を担当した日立製作所、日本車両製造の頭文字をとって名付けられた(筆者撮影)

しかしながら、このようなやり方は不正の温床と見なされてしまうこともあり、時代の流れとともに国際競争入札が当たり前となった。そもそも、1987年に国鉄が分割民営化されたことで従来の仕組みは不可能になり、それ以降は各メーカーが設計から開発までを受け持ち、単独で海外のメーカーと戦うことを余儀なくされた。

「ひも付き援助」事実上の復活

入札条件の一般アンタイド化と国鉄解体、さらに円高も追い打ちをかけ、鉄道インフラの海外輸出は苦難の時代へ突入した。結果、土木工事は日系企業が受注しても、それ以外は海外企業が受注するというケースが急増した。しかも、その間に世界の鉄道の大半の技術標準は欧州規格(EN)に席巻されていった。

そこで導入されたのが「本邦技術活用条件(STEP)」である。これは一定の条件を満たした国に対する鉄道、港湾、ダム、空港、発電などの大型インフラODA案件において、受注契約企業を日本企業に限定する、いわば“特例”で、2002年に経済協力開発機構(OECD)から承認された。

これは、「オールジャパンによる鉄道インフラ輸出」を進めるにあたっての前提条件である。「顔の見える援助」「日本技術の活用」をうたい文句にしているが、要するに1980年代以前の「ひも付き援助」の復活である。

ただし、STEPが適用できるのは世界銀行の国所得階層別分類において、低所得国以上、中進国未満の国に限定される。例えば、すでに中進国入りしているタイの鉄道プロジェクトではSTEPの適用実績はない。

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