鉄道輸出「オールジャパン戦略」の時代は終わった 重要部分に日本の技術導入「コアジャパン」へ

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ジャカルタMRT車両
日本車両製造製のジャカルタMRT車両。日本の官民が連携しアジア向け輸出促進のために策定された都市鉄道システムの標準仕様STRASYAに準じている(筆者撮影)
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安倍政権が推し進めていた「オールジャパンによる鉄道インフラ輸出」戦略。一時期は盛んに叫ばれていたこの言葉だが、実はすでに政府内では語られなくなっているという。

筆者は「オールジャパン戦略」に対して一貫して懐疑的立場を取っており、これまでいくつかの事例について紹介してきたが(2020年9月18日付記事「国が推進『オールジャパン鉄道輸出』悲惨な実態」など)、先般、JICAのある職員と話す機会があり、筆者の主張をぶつけてみた。すると、「政府内ではもうオールジャパンは語られなくなっている」と予想外の返答を受けて、拍子抜けしてしまった。

そして、「代わりに検討されているのは“コアジャパン”という考え方」という。これは、「キモとなる部分に日本の技術を導入しつつ、それ以外の部分では被供与国の技術ないしは第三国の技術を用い、一定の品質を担保しつつトータルコストを下げる仕組み」だ。とくに予算的制約が厳しいODA案件において、最高品質のものを導入するということは、初めから利益相反の側面をはらんでいたわけで、収まるべきところに収まったという印象である。

では、今後の鉄道インフラ輸出はどのように進むのか。これまでの経緯と実態を振り返り、今後を展望してみたい。

かつては国鉄が仕切っていた「鉄道輸出」

日本の開発協力は、1987~1989年に首相を務めた竹下登が「日本の長寿は世界一、格差がないのも世界一、それが世界一の金貸し国になった」と演説したように、1980年代後半に最盛期を迎えた。まさにジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていた時代である。

一方で、受注契約企業を日本企業に限定する「日本タイド」が主流だったODAに対して、日本の開発援助は日本のためにやっているようなものだと(戦後賠償からの経緯を見ても、実際にその通りだが)と、「ひも付き援助」に対する欧米諸国からの批判が高まるようになり、1980年代から1990年代にかけて、有償、無償、技術協力問わずODAの一般アンタイド化が急速に進んだ。

これによって、円借款でありながら日本の企業が受注できないケースが増加し、日系企業のODA離れが進んだ。

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