「日立製車両」が欧州鉄道界進出に成功した背景 「国鉄と共同開発」からメーカー主導へ業界一変
日立製作所がイギリス国内高速新線向けの中高速車両である395系「ジャベリン」をひっさげ、ヨーロッパ鉄道市場への進出を本格的に果たしてから15年以上の歳月が経過した。
当時のヨーロッパにおいて、日本メーカーは部品供給程度の案件はあったものの、車両そのものを供給する例は少なかった。旧東急車輛(現・総合車両製作所)が製造したアイルランド向けの気動車や電車、三菱電機が設計・製造し、外見がJRのEF66形電気機関車に酷似していることで有名なスペイン国鉄251型電気機関車などの先例はあったが、いずれも小ロットでの生産に終始した。
日本の鉄道メーカーがヨーロッパへ大々的に進出し、現地工場を構えて数百両規模の大量生産をするということなど、当時はとても信じられない状況だった。それがなぜ大きく変化したのか。
欧州内でも「他国製」は少なかった
そもそも、工業製品の中でも鉄道という分野は非常に特殊だ。工業水準が高い国においては、各国の鉄道と地元メーカーが手を組んで車両やインフラを開発し、地元だけで使用する「地産地消」が一般的だった。日本もこれに当てはまるが、ヨーロッパでも20世紀までは、かつてのソビエト連邦を中心に東欧の社会主義国家で形成されたコメコン(経済相互援助会議)のように加盟国間で分業するといったケースを除けば、鉄道車両やインフラの輸出入事例はそれほど多かったわけではない。
他国から車両など鉄道関連の製品を輸入するのは、その国の工業水準が高くない場合と、高速列車や低床式路面電車など、自国で開発することが難しい特殊技術が必要な場合に限られていた。
理由は明白である。自国企業から製品を購入することで、その企業の収益を確保することができるうえ、工業水準が高い国であれば、その技術力維持につながる。為替相場の変動リスクを抑えるという側面もあった。ユーロ導入前は、ヨーロッパ内でも各国別の通貨だったから、為替差損のリスクがつきまとった。
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