引きこもり30歳がルーマニア小説家になった胸中 「千葉からほとんど出たことがない」のになぜ?
「皆、小説で稼ぐ気がないので、純粋に自分が書きたいものだけを書くんです。つまり、“趣味”で書いている。そのことをまったく知らずにルーマニアの文学界に挑んだのですが、俺自身、芸術は公園の遊具みたいに、『誰もが楽しめる公共財』であってほしいと思っているので、むしろそのほうが理想的だと感じました」
とはいえ、いつまでもお金の面で実家に頼るわけにもいかない。経済的な自立が目下の課題であることは、彼自身もよく理解している。
「映画の批評も、ルーマニア語で小説を書くことも、ただただ自分がやりたくて、楽しくてやっている趣味なんですよね。俺は、実家に寄生するという“裏技”を使って、趣味ばかりやりすぎました。こんな職も収入もない自分がいくら『ルーマニアの文学はすばらしい』と讃えても、説得力がないよなぁと思っていたら、突如エッセイ本の依頼が来て、事態が急展開したんです」
はからずも、出版を機に日本で「エッセイスト」としての活動がスタートした。そこから新たな記事の執筆やイベント出演など活動の幅が広がり、収入も得られるようになった。
ただ、「お金を稼ぐことに関しては苦手意識がある」と鉄腸さん。
「自分の利益のためだけに稼ぐのはちょっと抵抗があるというか。担当編集者さんとか、関わる人たちが豊かになるためだったら、一生懸命本を売って稼ごうって前のめりになれるかもしれません」
史上最少のニッチを極めたい
現在はエッセイや映画批評の執筆のほかに、月に1本小説を書くことを目標にしている。題材は主に、現代日本にはびこる、見えない差別や暗部を描いたもの。アイデアが降ってきたら、まず日本語でプロットを書き、それをもとにルーマニア語に変換する。だが、そのまま翻訳するわけではない。
ルーマニア語に翻訳したときに文脈がつながらなくなる場合は、別の言葉に書き換えることも多い。日本語版とルーマニア語版はそれぞれ独自の物語になっているとも言える。
「自分が書いてきたのは、ルーマニア語で書かれた“日本文学”なので、ルーマニアの文化はいっさい入っていません。そもそもルーマニアに行ったことがありませんし(笑)。だから、あくまで“ルーマニア語”の小説家なんですよね。でも、それってほかに書ける人がいないからこそ、書き続ける意味があるんだろうなと思うんです。史上最少のニッチですね」
最近はアルバニア語やルクセンブルク語を学ぶことが楽しくて、ニッチ度にますます拍車がかかる。「いつかルーマニア語以外の言語でも小説や詩を書きたい」と、その探求心は底が知れない。
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