引きこもり30歳がルーマニア小説家になった胸中 「千葉からほとんど出たことがない」のになぜ?

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
ルーマニアで小説家デビューした、済東鉄腸(さいとう・てっちょう)さん。その稀有な道のりと人となりを紹介します(撮影:今 祥雄)
うつ、引きこもり、クローン病を乗り越え、ルーマニアで小説家デビューした済東鉄腸(さいとう・てっちょう)さん、30歳。その数奇な半生を描いた自伝エッセイ、『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』が注目を集めている。
「ルーマニア語で書く日本人作家」として、現地でも注目されているそうだが、千葉と東京以外に、ほとんど出たことがない彼が、いったいどのようにしてルーマニア語の作家になったのか。その稀有な道のりと人となりを紹介する。

心が壊れ、大学卒業後から引きこもりに

本や映画批評のブログからほとばしる、強烈なルーマニア愛。「俺は──」でつづられる、己の奥底をむき出しにした、たけだけしい文体。済東鉄腸というペンネームからして、ただならぬものを感じ、筆者も珍しく取材前夜から緊張していた。

撮影現場で対面すると、彼は自分の胸にそっと手を当て、会釈をした。

「はじめまして。ルーマニア馬鹿の済東鉄腸と申します。今日はよろしくお願いします!」

親しみと礼をつくした挨拶に、一瞬で心をつかまれてしまった。

思わず「鉄腸さんと呼んでいいですか?」と尋ねると、「うれしいです。そう呼んでくれて」とほほ笑み返した。

子どもの頃は、内向的すぎて人と話せなかったという鉄腸さん。家族で外食に行っても、店員にオーダーできず、毎回親に代わりに伝えてもらうほど。

それでも「友達だけはつくらなければ」と奮起したこともあったが、今度は自分の思いばかり一方的に話してしまい、会話のキャッチボールができなかった。

「コミュニケーションが0か100かになってしまって、人とうまく話せなかったんです」

大学時代もつまずきの連続だった。受験に失敗し、ようやく入った大学のサークルで失恋。心を閉ざし、ますます人と交流しなくなった。なんとか卒業だけはしようと通学し、就活にも挑んでみたが、面接でほとんど話せず、惨敗。

とうとう4年生の終わりに力尽きた。うつ状態になり、卒業後の2015年から実家の子ども部屋に引きこもるようになった。

次ページうつの苦しみから救ってくれたのが映画だった
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事