引きこもり30歳がルーマニア小説家になった胸中 「千葉からほとんど出たことがない」のになぜ?
「『調子はどう?』『自分は家でゴロゴロしています』みたいな一文すらも書けないので、辞書を引きながら数十分かけて返事を打っていました。俺が“言葉がわからない外国人”ということもあって、返事が遅くても皆、優しく待っていてくれるんですよね。
そうやって実地で日常会話を学んでいくうちに、人とのコミュニケーションの取り方もだんだんわかってきて。チャットを通じて、対人スキルの底上げができた気がします」
日本人で初めてルーマニアで小説家デビュー
ほかにも数年間の引きこもり生活で上がったスキルがあった。小説を書く力だ。
「実は学生時代から小説を書きたくて挑戦していましたが、最後まで書き上げることができなかったんです。それが引きこもって毎日映画のあらすじや評論を書くうちに、自然と物語の立て方がわかるようになって、作品を完結できるようになりました」
完成した作品を今度はルーマニア語に翻訳してみたくなり、それをルーマニアの人たちにも読んでもらいたくなった。そこで、「自分が書いた短編を読みたい人はいますか?」とFacebookで投げかけると、思いのほか反響があった。
ある日、文芸誌メディアを運営するミハイル氏から「ぜひ読ませてほしい」とチャットが来た。作品を送り、心臓をバクバクさせながら感想を待つこと数日。メッセージが届いた。
「君の短編が気に入ったから、ぜひうちの文芸誌に掲載したい」──。
その言葉はまさしく、ルーマニアで小説家デビューすることを意味していた。
「連絡が来たのがちょうど4月1日で、エイプリルフールのうそかと思うぐらい、信じられませんでした。でも、俺の人生が間違いなく変わった日です」
日本人で初めてルーマニア文壇デビューを果たし、現地で瞬く間に注目の的となった。これまで30作品が数々の文芸誌に掲載され、現地メディアからも度々インタビューをされるなど、その知名度はうなぎ登りだ。
「何しろ現地に行ったことがないし、載った掲載紙が家に送られてくるわけでもありません。ただ、俺の評判だけが独り歩きしていて不思議な感覚です」
こうしてルーマニアで小説家としての地位を手に入れたわけだが、収入はいっさい入ってこないのだという。
そもそもルーマニアの出版業界はヨーロッパの中でも市場規模が小さく、小説を生業とすることは非常に難しい。小説だけで生計が立てられないため、皆「兼業作家」として活動しているのだ。
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