自治体ぐるみで被災住民を支援する小千谷市、一時帰宅も実現、ペットを連れ帰る人も-東日本大震災、その時自治体は《1》
新潟県小千谷市は、2004年10月23日の新潟県中越大震災で震度6強の揺れを観測し、甚大な被害を受けた。市内では多くの家屋が倒壊し、土砂崩れが川を塞き止めた。ピーク時には、136カ所の避難所で約2万9000人もの市民が生活を余儀なくされ、全国から多くの支援を受けた。
その小千谷市が東日本大震災では、自治体ぐるみで被災者を支援する立場になった。震災に続いて起きた福島第一原子力発電所の爆発事故をきっかけに、3月17日に福島県南相馬市から199人が集団で小千谷市に避難。民家での宿泊を含めて、ピーク時には約230人を受け入れた。4月6日時点でも、南相馬市住民を中心に168人が市内の運動施設などに身を寄せている。
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東洋経済記者は4月6日に、南相馬市住民らが生活する小千谷市総合体育館(写真)を訪問。市職員やボランティア、南相馬市住民から実情を聞き、課題を探った。
小千谷市がまとめた資料によれば、3月30日時点での避難者約170人のうち、津波などの被害により住宅損壊を受けた住民が約20人。それに対して、原発事故に伴う「自主避難」などが約150人にのぼる。これら自主避難者は事故の処理が終われば帰宅可能である反面、住宅損壊の住民は、帰る家を失う深刻な事態に直面している。ただ、原発事故収拾のメドは立っておらず、自主避難者を含む被災者の避難生活は長期化する一方だ。