やたらと「論破!」と言う子に伝えたい"大切な事" 勝つと何が得られ、負けると何が終わりなのか
「論破」とは、勝ち負けとは別次元のもの
いま若い層に人気のある、そう、えーと「ともゆき」さんだっけ、あの人が言ってる「論破力」というのが何なのかを考えてみようと思う。
この言葉については、いろいろな話の流れで、売り言葉に買い言葉というやりとりになって出てきたり、まさに若い人たちが、面白がってあまりいろいろ気をつかわずに「はい論破!」なんて使ったりするから、もともとどういうつもりで「論破!」なんて言ってきたのかもだんだんわからなくなっている。
でも、いろいろなやりとりを見直すと、そこで言われている論破というものが、説得するための話の内容やその揺るがない組み立てではなくて、人に説得をするさいの話し方、空気や状況のつくり方の話だということは、もうわかってきている。
議論している人たちの勝ち負けを決めるのは、議論している人たちを観ているテレビやYouTubeの司会者や観客のフィーリングや受け止め方だということ。
だからここで言う「論」を「破る」とは、「言い負かしたという印象を観ている人たちに与える」こと、つまりこれは言論の力じゃなくて、空気づくりの演出力の話だということだ。
理屈の組み立てや、そのスキのなさじゃなくて、「そういう感じと流れをつくり上げる」あの手この手ということになる。人に「なるほど」と思わせるために、いろいろな工夫をすること自体は別にそんなに悪いことじゃない。
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