やたらと「論破!」と言う子に伝えたい"大切な事" 勝つと何が得られ、負けると何が終わりなのか

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だから、議論をする時に一番成長を手放す、議論することの意味を台無しにしてしまうのが次のような言葉だ。痛いところを突かれる、動揺させられる、どこかで自分の言っていることのいい加減さに気づいた時に、勇気がなくて言ってしまうアレだ。

それって、あなたの感想ですよね。

これを別の言葉に言いかえると、「僕は僕の言うことの根拠を再確認なんてする気はないですよ。だって僕がそう思うんだからそうなのであって、あなたはあなたで違うんだから、 それはあなたのフィーリングでしょ? つまり感想なんだから、あなたの負けってことで、 ほとんどの人がそう思ってるはずですよ」になる。

何を恐れているのか? 何がそんなに怖いのか? そして、やっぱり聞いてみたくなるのだ。 あなたは、人と議論をして、そのことで自分が変わりうるのだという前提がありますか?

あるならば、「それは感想でしょ」ではなくて、あくまでも「その主張の根拠」を問うように尋ね返せばいいのであって、相手が言葉を返せないような舞台風景をつくり変えるようなことをして、あなた自身の言葉が研ぎ澄まされたものになる可能性を自分で捨ててしまっていませんか?

もし変わりうる自分という前提がないなら、何のためにあなたは人と議論をするのですか?

「論破」とディベートは違う

そして、一番聞きたいのは次のことだ。

あなたは、他者との議論において本当は何を一番失いたくないのですか? 言い負かして何を得る? 相手を言い負かしたり、誰かが誰かを論破しているシーンを観ることは気持ちがいいのかもしれない。

なぜならば、人は自分の心の中にどんなイライラやフラストレーションを溜め込んでいるかを、自分でもあまり正確にわからないから、そのイライラを解消してくれるような場面や人の行動を観ることでスッキリすることがあるからだ。

自分の代わりにやってくれて、あたかも自分が「はい論破!」って言い負かしているような気にもなってくるだろう。勝った! そういうことはあると思う。僕だって、そういうやりとりを目にした時には(とくにやり合っている片方の人をあまり好きでなかったりした時)、ちょっとスッキリすることもある。

でも、それは思い返せば、わずか10秒くらいの間だ。スッキリした11秒後には、なにやら虚しい、切ない、明日につながらないやりとりに加担してしまったという気持ちが訪れる。

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