やたらと「論破!」と言う子に伝えたい"大切な事" 勝つと何が得られ、負けると何が終わりなのか

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わかってほしいという気持ちを表現するためには、大事なところがきたらアイコンタクト(相手の目をしっかりと見る)をとる必要もあるし、大きな声を出さないで、淡々と、そして重要なポイントのところを「わざと声をひそめてゆっくり話す」というのも重要なテクニックだ(これは大学の講義でも僕がよく使う技法だ)。

しかし、これは自分の言いたいことの理屈をきちんと組み立てて、その上でハートを伝えようとする中で生まれてくるものだから、話の内容がウソだったり、事実の裏付けのない決めつけだったり、自分の思い込みを気ままに「みんなも言ってますけど」とすりかえたりすることで、聞いている人に「その気にさせる」ということなら、それはもう議論でも話し合いでもない。

ここには、議論をするために絶対に必要なものがないからだ。 それは、「この言葉のやりとりをすることで、自分のこれまでの思い込みや考えの組み立て方が変わる可能性があるのだ」、「優れた言葉のおかげで自分が成長しうるのだ」という、自分と相手と言葉に対する信頼だ。

「それって、あなたの感想ですよね」

僕が少し前に、知的成長とはメマイを起こすことだと言った意味は、まさにここにつながっている。誰でも自分が強く思い込んでいることに揺さぶりをかけられていることを認めたがらない。なぜならば、その前提が崩れると、自分の主張そのものが動揺してしまうだろうことをどこかでわかっているからだ。正しいと思っていたことが「そうでもなかったのだ」ということに直面するのは、しんどいし辛いことかもしれない。

しかし、それを避けて、あまりに恐れて目をつぶれば、そこで言葉のやりとりをする者としては成長と発展は止まる。恐怖に直面しなくて楽ちんだが、本当はその後にもっと怖い事態、つまり「大雑把で荒っぽくて不正確で思い込みばかりが強いわりに、人の納得を得られない物言いばかりになること」が待っている。

だから知的に豊かに大きくなるためには「自分は間違っているのかもしれない」という慎ましい姿勢と、自分の考えを変える可能性のある他者と言葉への敬意がなければならない。

自分を揺さぶる言葉に会った時には「え?」と思う。それがメマイだ。でも「その後」が決定的なのだ。理屈の組み立てを丁寧にたどっていって、「そういうふうに説明されれば、なるほど自分の考え方も違って見えますね」ときちんとお腹に落として確かめる勇気が必要だ。

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