72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか
最後の瞬間に「誰と」いたいか考えてみる
自宅をはじめとした好きな場所で最期を迎えることが、患者当人にとってはもっとも幸せらしいという確信のもと、私は常々「自宅で死のうよ」と言ってきた。
もちろん、患者の周囲の状況が、それを成せるかどうかがカギになるから、その準備をすること、自分も、看取る側も覚悟を決めておくことは必要になる。
どこで死ぬか同じように「誰に看取られるか」も、もはや自分で決めていいのではないかと、私は思っている。
既存の社会的な関係性や保守的なしがらみを超えて、「本当にこの人といたい」「最期はこの人に寄り添ってほしい」と思える、その誰かを選ぶわがままも、どこで死にたいのかと同様の、正しいわがままだと思うのだ。
末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。
結婚はしておらず、子どももいない。
「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」
天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ。
海洋冒険家・堀江謙一さんの『太平洋ひとりぼっち』に感銘を受けた世代。茨城県の、当時の高校生たちにとっても、霞ヶ浦から太平洋に漕ぎ出すことは、1つのステータスだったに違いない。
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