また、お金の出どころはさておき、多くのお金を払っているのだからちやほやされて当たり前、大事にされて当たり前、という考え方もいかなるものかと思ってしまいます。
お金を持っている、より多くのお金を払っているイコールそのヒトが人格的に優れている、というわけでもありませんし、個人として魅力がある、というわけではありません。
ましてや会社のお金、つまり費用での飲み食いなどで大きな態度ができる感覚は、理解に苦しみます。
仮に周囲やサービスを提供する側の態度が異なるように感じるのであれば、それは薄っぺらい自分を見透かされているだけの話であり、費やしたお金の多寡ではありません。
相手から敬意をもって接してほしければ、まず自分が相手に対して敬意をもって接するとか、自分側からの働きかけが大事なのだという、人間関係における基本がなっていないだけなのだと思われます。
そのようなことを理解できていないがゆえに、高いお金を払っているか否かですべてが決まる、というような単純な考え方になってしまうのでしょう。
所属していた組織が自分のアイデンティティに
同様に、勤務する会社の価値や知名度と自分の価値などが一緒だと考えるのも、多々ある風景なのかなとも思います。
近所付き合いや初対面での場面に始まり、はては合コンや婚活などの恋愛市場においても、日々そのような話はちまたにあふれています。
勤務する会社だけでなく、どこの学校を卒業したかなど、所属する、またはしていた会社や組織の名声にどうしても頼ってしまい、そのことが自分のアイデンティティやプライドの中心になってしまっているヒトも非常に多いのは事実です。
話は戻りますが、そもそも費用というのは、自分自身に与えられた仕事をこなすための道具ですから、究極的にはその使い道も使い方も会社や仕事を考えたうえでのことでなくてはいけません。
言い換えると、会社の費用というのは単なる消費の為のお金ではなく、投資金としての位置づけである、ということです。
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