お寺と聞いて大多数の人がイメージするのは、お葬式やお墓参り、厄除け祈願などではないだろうか。お葬式やお墓参りでしか、お寺を訪れることはない人もいるかもしれない。一方、仏教の歴史を紐解くと、実は法事も祈願も、もともとは仏教の中核ではなかったという。
そうした歴史的経緯を分析した『お寺の行動経済学』が刊行された。著者の中島隆信氏が書籍でも紹介した「お寺の事業運営戦略の歴史的経緯」について論じる。
開祖が「葬式は必要ない」と名言している宗派も
初詣、厄除け、合格祈願、交通安全祈願などでお寺を訪れたことのある方は多数おられると思う。こうした祈願を受け付けている寺院といえば、成田山新勝寺、川崎大師、佐野厄除け大師などが真っ先に思い浮かぶだろう。
その形式は賽銭を入れたりお守りを購入したりする簡易なものから、僧侶に護摩を焚いてもらう本格的な祈祷などざまざまだが、いずれも何かしら成就のために祈っていることは間違いない。
また、親戚や知人が亡くなったとき、寺で僧侶のお経を聞き、焼香した経験はほとんどの人がお持ちではないだろうか。祈願は神社でも行うが、葬儀や法事は仏教寺院がほぼ独占的に担当している。彼岸や故人の命日には墓前で手を合わせて祈るだろう。
このように祈願と法事はお寺の二大事業なのだが、驚くべきことに、これらの儀式は仏教の開祖である釈迦の教えに基づくものではない。また、宗派によっては、祈りを一切認めないところや、開祖が「葬式は必要ない」と明言しているところもある。それではなぜ、現在の仏教寺院では僧侶がこうした儀式を司っているのだろうか。
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