道長の兄「道兼」頂点に君臨後"7日で死去"の衝撃 父である兼家に抱いていた複雑な思いとは
一条天皇と道隆・伊周父子の思惑のズレ
藤原道長の兄であり、関白だった藤原道隆は、995年に43歳でこの世を去ります。その年は疫病が流行しましたが、道隆の場合は、疫病ではなく、度重なる深酒による糖尿病が死因だったようです。
道隆は内大臣となっていた我が子・伊周に、自分の後を継いで、いずれは関白になってほしいと考えていました。もちろん、伊周もそれを望んでいました。
しかし、一条天皇は別の思いを抱いていたようです。一条天皇と道隆・伊周父子の思惑のズレが周囲の混乱を招きます。
一条天皇は「関白(道隆)が病ではあるが、政務に関連する文書や宣旨(天皇の命令を伝達する文書)は、まず、関白に見せてから、続いて内大臣(伊周)に見せ、奏聞(天皇に言上)すべし」と考えていました。
その旨は、頭中将(藤原斉信)から、伊周に伝えられます。ところが、伊周はそれに異を唱えるのです。
「天皇の御命令が違っています。関白からは、関白が病の間は、内大臣(伊周)が中心となり政務を担当せよと承っていたのです。そうであるのに、天皇はまず関白に文書を見せて、続いて内大臣に見せよと仰せになります。これはどういうことでしょうか」と。
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