イトマン事件捜査のシナリオ描いたバンカーの死 破天荒なサラリーマン・國重惇史氏を悼む
検察は河村氏の動機を解明して事件の全体像を示すためにも、当時の銀行内部の状況を検証する必要があったはずだが、強制捜査の対象に銀行を含めなかった。最重要証人であり当事者である磯田氏や磯田氏の長女夫妻について証人申請はおろか、調書の証拠申請すらしなかった。銀行の経営陣のなかで唯一申請した巽外夫頭取(当時)の調書を弁護側が不同意としたのに対し、証人申請もしなかった。
検察が意図的に避けたことは明らかだ。銀行本体には手を付けず、アングラにつながる闇の勢力だけを摘出する……。捜査は、全面協力した銀行のシナリオ通りに進んだ。
磯田氏を助け、一方で追い込んだ國重氏
國重氏らの働きかけもあって磯田氏は訴追や正式な取り調べから逃れ、表向きは晩節を汚さずに人生を終えることができた。だが一方で國重氏は、イトマンの乱脈経理のほか磯田氏とのかかわりを告発する匿名の文書を磯田邸や自行の役員らに送り付け、伊藤氏に取り込まれた磯田氏を会長辞任に追い込んでいた。伊藤氏は当時、河村氏の紹介を受けて磯田氏に急接近していた。
イトマンをめぐる告発文書は当時、「伊藤萬従業員一同」と偽って大蔵省銀行局長やイトマンの主要取引先、マスコミなどに幾度も送られ、大蔵省や日銀、新聞を動かしていった。執筆者は國重氏だった。
日本経済新聞記者だった大塚将司氏とタッグを組み、國重氏が文書を投函すると、大塚氏が磯田氏や銀行局長宅に夜回りをして反応を探ると言ったマッチポンプが繰り返された。銀行員と新聞記者の二人三脚でイトマンの不良債権問題を顕在化させるとともに、磯田氏を精神的に追い詰めていった。
事件の取材中、ある段階から私は一連の告発文は國重氏の手によるものだと確信を持つようになった。あれだけの内部情報を得られるのは、銀行かイトマンの中枢にいる人物に限られる。行動力や筆力を考えると國重氏しかいないと考え、何度か本人に質してみたが、当時は否定していた。2016年に出版した著書『住友銀行秘史』で、告発文の筆者だとようやくカミングアウトした。
磯田氏が誰と会い、どこに行ったのか。國重氏は実に詳しく知っていた。磯田氏の秘書の女性から「情を通じて」情報を得ていたと後日、告白した。國重氏は当時の妻と別れてその秘書と再婚したものの、週刊誌の不倫報道を受けて、再び離婚した。
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