イトマン事件捜査のシナリオ描いたバンカーの死 破天荒なサラリーマン・國重惇史氏を悼む

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大阪地方検察庁特捜部や大阪府警察本部が捜査に乗り出し、疑惑が事件へとなりそうな気配がし始めた1991年初頭、國重氏は朝日新聞大阪社会部の取材班キャップだった私に銀行関係者を通じて接触してきた。東京の経済部記者たちには顔が広かった國重氏も、事件の捜査を取材する大阪の社会部には知り合いがいなかったようだった。

以後、たびたび情報交換をするようになったが、銀行やイトマン内部、役員らの動静に関する情報の多さが圧倒的であり、立ち回り方も含めて「世の中にはこんな銀行員がいるのか」と驚くこともしばしばだった。

銀行に踏み込まなかった検察

事件捜査のお膳立てをしたのは、國重氏と住友銀行融資第3部だった。広島高等検察庁検事長を務めたヤメ検の大物弁護士(故人)を窓口に、銀行やイトマンの関係資料を特捜部に持ち込んで捜査を促した。

1990年10月19日、当時の伊藤萬(イトマン)常務だった伊藤寿永光氏(右、写真・東洋経済編集部)

さまざまな人脈や企業が重層的に絡み、魑魅魍魎が跋扈する複雑怪奇な疑惑の数々を事件化するのは容易でないとみられていたが、銀行側の全面協力を受けて特捜部と府警は、河村良彦イトマン元社長、伊藤寿永光(すえみつ)同社元常務、許永中(きょ・えいちゅう)不動産管理会社代表らを商法(特別背任)違反などの容疑で逮捕、起訴した。

メインバンクの住友銀行は、事件の数年前からイトマンの乱脈に気づいていた。それでも、同行が首都圏で地歩を固めた平和相互銀行の吸収合併(1986年)で、ワンマン会長だった磯田一郎氏の意を受けた河村氏が大きな役割を果たした「借り」もあり、強く諫めることができなかった。河村氏は住友銀行時代、磯田氏の部下で常務まで出世したのちイトマンに転じていた。

他方、河村氏はイトマンの社長となってからも磯田氏のマンション購入の手続きから賃借人のあっせんまでを引き受け、磯田氏の娘婿の会社を物心両面で支援した。破格の高値で多数の絵画をイトマンに買い取らせた取引の発端は、磯田氏の娘が河村氏に持ち掛けたものだった。

河村氏が、山口組とのつながりが指摘されていた伊藤氏をイトマンに入社させ、常務に据えたことで住友銀行上層部も動揺する。銀行内部で河村氏の去就をめぐり、激しい抗争が展開された。河村氏の退任を求める声が銀行内で強まるなか、増収増益を最重要課題とする河村氏は伊藤、許両氏が提案するプロジェクトにのめり込んだ。

絵画にしろ、ゴルフ場開発や都心の地上げにしろ、とてつもない高値だったり、完成の見込みがなかったりすることは少し調べればわかったはずなのに、河村氏はなぜ破綻への道を突き進んだのか。

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