イトマン事件捜査のシナリオ描いたバンカーの死 破天荒なサラリーマン・國重惇史氏を悼む

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イトマン事件後、楽天グループに移籍した旧住友銀行のバンカー・國重惇史氏。写真は2013年11月、楽天グループの金融事業説明会で代表取締役副社長として説明する國重氏(写真・尾形文繁)

載らなかった訃報記事

バンカーで実業家だった國重惇史氏が2023年4月4日、77歳で亡くなった。

楽天の副会長のほか楽天証券、楽天銀行の社長、会長を歴任した経済人ながら、なぜか大手の新聞で訃報記事を見かけない。上場企業のトップではないといった基準からだろうが、毀誉褒貶が相半ばする人生は、並みいる経営者以上に異彩を放ち、経済事件史上に大きな爪痕を遺した。

1968年に東京大学経済学部を卒業後に住友銀行(現・三井住友銀行)に入行した國重氏は、監督官庁の情報を集めるMOF(大蔵省)担として官僚らに食い込んで名をあげ、人脈を広げた。取締役まで務めたが、ある時から出世コースをはずれ、楽天グループに移った。

一時は三木谷浩史会長の右腕とも呼ばれていたものの、自身の泥沼の不倫騒動が週刊誌で報道されたこともあって退社した。その後ベンチャー企業の社長なども務めたが、数年前から国指定の難病を患い、闘病を続けていた。

破天荒なサラリーマンであり、雇われ社長だった國重氏は、多くの記者やジャーナリストと接点を持っていた。私とのかかわりは旧住友銀行系の中堅商社だった伊藤萬(1991年に「イトマン」に社名変更)をめぐる商法上の特別背任事件である「イトマン事件」を通じてだった。

このイトマンを舞台に、株、土地、絵画、ゴルフ会員権など「バブルの神器」を通じて広域暴力団山口組ともつながる闇の勢力に数千億円が流れたとされる事件だった。とくに金額の大きさや登場人物や手口の多彩さに加え、絶頂期の日本経済を代表する金融資本の本丸にアングラ勢力があと一歩まで迫った異様さから、「戦後最大の経済事件」と評された。事件にかかわった有名企業の経営者多数が辞任に追い込まれ、イトマンや大阪府民信用組合をはじめ多くの組織が消滅した。

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