構想10年、135人のキリスト者取材した彼女の提言 「宗教2世めぐる諸問題を契機に、問い直しを」

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こうして、2016年のはじめに全国のキリスト教会を尋ねる取材の旅に出た。その取材方法は一見するとプリミティブ、本人曰(いわ)く「行き当たりばったり」のものだった。

「新しい土地にたどり着いたら、スマートフォンでGoogleマップを開いて『教会』と検索します。すると、地図上にたくさん教会が表示されますよね。ただ、教会がない土地もあったり、詳しく見てみると天理教の『教会』だったりということもありました。

そこから、キリスト教会に焦点を絞って訪ねていくわけなのですが、多くの教会は鍵がかかっており、扉は閉ざされていました。それは地方になればなるほど顕著になったため『これは普通には取材できないな』ということを実感しました。

教会というのは『駆け込み寺』的な場所でもあるのに、そうではない現実が広がっている……。『いったい、教会に何が起こっているんだろう?』ということを考えながら、正式に取材依頼をしていきました」

しかし、教会に直接「話を聞かせてほしい」といっても、簡単に許可が下りるわけではない。そこで、最相氏はその土地の教会の聖職者にまずはアプローチをかけた。その者から取材の許可が下りたら、教会で日曜日に行われる礼拝に参加して、信者たちと一緒に祈りを捧げる。その後、「愛餐(あいさん)」という会食で、神父や牧師に自らを紹介してもらい、取材に協力してくれそうな人を募った。

「とはいえ、会ったその日にそのまま取材というわけにいかないので、改めて『お話を聞かせてください』と、お手紙を差し上げて、後日ご自宅や教会でお時間をいただきます。取材は1回で終わることもあれば、再度アポを取って話の続きを伺うこともありました」

135人のキリスト者たちの「なぜ、神を信じるのか」

本書は1000ページを超える超大作。135人のキリスト者たちに「なぜ、神を信じるのか?」ということを、生まれてから今に至るまでの間を振り返ってもらいながら、語ってもらうという取材方法のため、1人当たり3時間、ときにはそれ以上はかかることもあった。

「キリスト教の信徒には当たり前のことに思えても、部外者にはよくわからない言葉が、たくさんあります。例えば『聖霊に包まれた』や『御言葉(みことば)が降りてきた』といった言葉が出てくると、私はそれはどういうことなのかということを、しっかりと聞くんです。

『“御言葉が降りてくる”というのは、実際に耳に聞こえてくるんですか? もしくは、頭に浮かぶんですか? それとも、たまたま開いた聖書のページにその言葉があったんですか?』と、聞き直して、キリスト者ではない私たちが理解できる言葉に置き換えてもらいます。教会が編纂した『証し集』は、そのような言葉で埋め尽くされているため、一般の人が読んでもチンプンカンプンで、面白くありません。

読み物としても、みんなが同じようなことを話しているように読めてしまいます。そのため、キリスト教特有の言葉は一般の人でも理解できるように、1つひとつ丁寧に言い換えてもらいました。そうやって、聞き集めてきた取材音源は、沈黙や方言を含めてすべて『逐語【編注:一語一句忠実にたどること】』で文字起こしするため、そうとうな量になります。しかし、それが非常に貴重な1次資料となるわけです」

次ページエピソードの重要な箇所を抽出する作業では途方に暮れた
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