「上司の凄惨なパワハラ」半年耐えた銀行員の顛末 結局、僕は最低な上司のやり方しか知らない
夜には居酒屋で午前中の続きが待っていた。「人間性を揶揄するのはやめてくだちゃ~い。はずかちくて泣いちゃいまちゅ~」。悪意に満ちたデフォルメを加えて私のモノマネを披露する次長。大爆笑する私以外のチーム一同。愛想笑いではなかった。解放された頃には日付が変わり土曜になっていた。
午後に起きてシャワーを浴び、私は出かけた。ホームセンターで練炭、七輪、チャッカマンと養生テープを買った。薬局で睡眠剤も手に入れた。寮に戻るといつものように同期とニコ動を見て笑い、夕食をとると部屋に戻った。
ドアの隙間に養生テープを貼っていると涙が流れてきた。ベッドに座り睡眠剤を1箱分全て飲み、七輪の練炭に火をつける。少しずつ眠気が迫る。そのうち意識が飛びそうになる感覚が波のように押し寄せた。そろそろ頃合いかな、目を瞑る覚悟を決めたところでノックの音と聞き慣れた声が響いた。
目張りが甘かったせいで外に煙が流れていた。通りかかった同期が不審な匂いに気づき、心配してドアを叩いたのだ。やはり死ぬのは怖かった。私はドアを開けた。同期に部屋の中を見られると急に恥ずかしくなった――。
数年後、私が後輩を持ったとき――
数ヶ月後には私の関連会社への出向が決まった。送別会のスピーチの最中、次長はずっと会場全体に響き渡る声でヤジを飛ばし、茶々を入れてきた。周りには私が感極まっているように見えただろうが、悔し涙をこらえるのに必死だった。次長の顛末は誰も連絡してこなかった。私も敢えて聞かなかった。
不思議なもので、数年後には私も仕事がおぼつかない後輩を会議室に閉じ込め、罵倒し、退職に追い込んだ。基礎を教えず、なにごとも見て盗めと言うだけの自分を棚に上げていた。結局、人間は自分の知っているやり方でしか仕事ができないようだ。私は次長のやり方しか知らなかったのだ。
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