「やられ損?」交通事故の賠償額は驚くほど少ない 被害者の過失が厳しく考慮され通常感覚から乖離

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一例を挙げて説明しましょう。

たとえば、あなたが、道路横断中に自動車にはねられる事故にあったとします。その事故に関して認定された事実は、夕方暗くなってから、横断歩道や交差点が近くにない広い道路を横断し、途中で立ち止まったということであったとしましょう。

交差点や横断歩道が近くにない道路横断というパターンでのあなたの過失は、基本が20、修正要素として、夜間が5、幹線道路が10、途中で立ち止まったことが10といったところで、合計実に45パーセントになります。なお、横断者が児童、高齢者の場合にも以上から5パーセントマイナスになるだけ、幼児や身体障害者でさえ10パーセントマイナスになるだけです(前記のマニュアルの37表)。

被害者にあまりやさしくない価値判断

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この過失相殺率が示唆しているのは、端的にいえば、「横断歩道や信号が近くになくてもそこまで歩かないで渡ったら、めいっぱい過失相殺しちゃうからね」ということです。このように、無機的な数字の羅列にも「隠されたメッセージ」があり、その背後には、「被害者にあまりやさしくない価値判断」があるわけです。

誰もが加害者にも被害者にもなりうるこうした重大な社会的問題は、民主主義社会であれば、本来なら、「社会全体でよく考え協議した上で、それに関する適切なルールや基準を決めてゆくべき問題」の一つといえます。

けれども、残念ながら、そうした社会的議論が十分に行われている国も、自動車事故損害賠償額の基準が完全賠償に近いかたちで設定されている国も、限られているというのが現実です。

つまり、日本を含め多くの国々では、交通事故損害賠償に関する社会の判断のはかり、基準は、被害者に厳しく、加害者、保険会社とその利用者には甘く設定されており、また、そのような問題の存在や基準の妥当性自体について意識している人々もきわめて少ない、ということです。

瀬木 比呂志 明治大学教授・元判事

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せき・ひろし / Hiroshi Seki

1954年、名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業。1979年から裁判官。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。著書に、『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(第2回城山三郎賞受賞)『民事裁判入門』(いずれも講談社現代新書)、『檻の中の裁判官』(角川新書)、『リベラルアーツの学び方』『究極の独学術』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、『教養としての現代漫画』(日本文芸社)、『裁判官・学者の哲学と意見』(現代書館)、小説『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社文庫)等がある。

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