陳建一氏「料理の鉄人」出演2度断ろうとしたワケ 一流料理人たちをも悩ませていたコンセプト

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建民氏の代表的な伝説が、『ぼくの父、陳建民』にある。1971年、広島県福山市の造船会社の社長から、創業社長の祖父のためのを建てたから2500人に披露する、と宴会料理を頼まれた。引き受けた後、会場の寺は山の上で水道もガスもきていないことが判明し、ドラム缶にコークスをたいて、仕事をやり遂げたのである。

息子の陳建一氏も1988年に、木更津店オープンの際、1500人の宴会料理を仕切ったことがある。このときはライフラインで困ることはもちろんなかったが、思ったより人手が足りず冷や汗ものだったと記している。

過保護で修業中も怒らなかった父親

偉大な父を持つ陳氏は、親の七光りで人生がゆがめられがちな「ジュニア」からスタートしている。しかも、大学を出るとすぐ父の店で修業を始め、他の店で働く機会を持てなかった。他の従業員には厳しい専制君主のようだった父が、息子の自分に対しては大甘で叱りもしないので困ったという。

『日本のグラン・シェフ』(榊芳生)に掲載された陳氏のインタビューによれば、大学卒業時、「外に出して料理の勉強させてくれと頼んだのですが、『駄目』と。『あなた、私、教えます』ってどこにも出してくれなかったんです」と語っている。しかも、周りの弟子たちも父に気を使ってなかなか教えてくれない。

通常とは異なる形で苦労しながら、しかし、目の前にいる偉大な父からたくさんのことを吸収した。いわば、素直さがジュニアである陳氏に道を誤らせることなく、一流の料理人へ導いたのだと言える。その素直さはもしかすると、父が過保護なほど息子を愛したことで守られたのかもしれない。母も、ちやほやされていい気になるな、それはお前自身の力じゃない、と厳しく教えた。

陳氏は、謙虚で部下を褒め、日々幸福に暮らせることへの感謝、人に笑顔で接することが大切と説く、「低賞感微」という言葉をくれたと話す。その実践をする両親の背を見ながら、まっすぐに精進した。だから、ジュニアでありながら、父とはまた別の偉大な料理人に成長し、多くの人々に影響を与えることができたのだろう。

3月2日付の朝日新聞で、3代目の陳建太郎氏が父について語っている。建太郎氏は『料理の鉄人』に出演する父を20歳で見て、料理の道へ進もうと決めた。祖父が冗談で「私、四川大学を出たよ」と言っていたが、孫は本当に四川大学へ留学し本場の店で修業もした。

「食べてもらうのは楽しい。祖父や父の姿から、ごく自然に教わりました。いい家に生まれたと思います」と建太郎氏は語っている。このように息子に受け継がれた、陳氏の料理への愛は、料理界の人々や消費者へも伝わっているのではないだろうか。

阿古 真理 作家・生活史研究家

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あこ まり / Mari Aco

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに、ルポを執筆。著書に『『平成・令和 食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)』『日本外食全史』(亜紀書房)『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた』(幻冬舎)など。

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