東急の祖「五島慶太」は本当に“強盗"だったのか 創立100年で見直される「乗っ取り王」真の姿

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五島慶太ら目黒蒲田電鉄の重役陣
1923年3月に撮影された多摩川付近での目黒蒲田電鉄(現・東急)重役陣。左端のステッキの人物が五島慶太(写真:東急提供)
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2023年3月11日、東急の前身・目黒蒲田電鉄(以下、目蒲電鉄)の最初の開業区間である目黒―丸子(現・沼部)間の開業から100周年を迎えた。同社の創立は、開業前年の1922年9月2日であり、この日が東急の創立日とされている。

東急は、創立100周年に合わせ『東急100年史』を編纂した。1973年4月の『東京急行電鉄50年史』発行から半世紀を経て編纂された100年史は、当然のことながら新たな視点で執筆されている部分も多い。

『100年史』で見直した視点

100年史の編纂に当たった、東急広報グループ主査の竹内敏浩氏は、大学時代に交通地理・交通史の大家として知られた故・青木栄一東京学芸大学名誉教授のゼミで学んだ経歴を持つ。学生時代に東急50年史を読んで下記の点に違和感を覚えたといい、100年史の制作に携われるのならば、見直したいとずっと思っていたという。

「当社は成長の過程で、池上電気鉄道(現・池上線)や玉川電気鉄道(旧・玉川線、現・世田谷線等)などを吸収合併した。50年史ではこれらの会社の経営陣が消極策しかとらなかったために業績が低迷し、結果として当社に合併されたというスタンスで記述されている。しかし、実際はそうではない。池上はバス路線の拡張や五反田の駅ビルにデパートを迎えるなど積極策をとっていた。また、玉川は電灯事業で収益が上がり、配当も継続していた。こうした点は客観的なデータをもとに、評価し直さなければならない」

玉川電気鉄道の車両
玉川電気鉄道の車両(写真:東急提供)

そして、もう1つきちんと評価し直したかったのが、東急の実質的な創業者である五島慶太(1882~1959年)の人物像だという。

「五島慶太にはどうしても”強盗慶太”のイメージがつきまとう。強引な経営手法を見ればその評価も間違いではないが、彼の一面にすぎない。もっと多角的な評価が必要だ」(竹内氏)

では、五島慶太とはどのような人物だったのか。あらためて、その業績や人物像を見ていきたい。

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